こんにちは。
誰かに手紙を書くみたいにして今日はこれを綴ってみようと今思い浮かんだので、
本日のこれは、あなたへのラブレター from 此方。
最近、舞台を観たんだけどすごく良くて。
それは劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」という、
イエス・キリストが十字架にかけられるまでの最後の7日間を描いたミュージカル。
この演目は何度か観ているけど、演劇って、いや演劇に限らずさまざまなことは、
自分の状態の反映というか投影だから、感じることが毎度違うものよね。
今回は、ジーザスのあり方がとにかく印象に残った。
ジーザスはウォンビンを精悍にしたような俳優さんがやっていて(格好良かった)、
なんというのだろう、立ち姿、表情、放っているものが、光の柱みたいというか、
透明なんだけど異様なほどに力強くって、
実際のジーザスは知らないけど、このようなエネルギーを放っていたのではないかなと思った。
そしてそのエネルギーというかあり方は、特別ではないとも感じて。
ぼくは「人は自由だ」とよく思うというか、思いたい人間なのだけど、
その”自由”というのは、なんでもできる、どこへでもいける、ということが重要なのではなく、
自分の意識のもちようで、どのようにも在れる、という、
自らで選べる、選択できることこそが「自由」なのかもしれないな、と。
ジーザス役の人は、まっすぐに立って、いわゆる人間らしい表情はほとんどせず、
常に遠いところをただ一心に見ている、そういう姿勢をしていて、
演じるとは、まさにそうしたことであるわけだけど、
体を、姿を、態度を、意識を、自らがジーザスに寄せることで、
器である肉体に、それにそぐう精神が流れ込む。あるいは、生まれるのだろうね。
イエス・キリストが「自分にできることは誰にでもできる」というようなことを言ったと聞くけれど、
舞台を観ながら、なるほど、それってこういうことなのかもしれない、と、わかった気になって。
安全で快適な空間に座っているだけで、五感から、
五感を超えたものをも受け取ることのできる演劇って、本当にすばらしいな、とあらためて思ったよ。
偶然か必然か、ちょうど目下取り組み中の「スピリチュアル・レッスン」にて、
”動作や振る舞いを整える”というレッスンの日があり、たとえとして、
うなだれ肩を落とし浅い呼吸をして「元気いっぱい」と感じてみる。
次に、肩をはり背筋をピンと伸ばしほほえみをたずさえ「落ち込んでいる」と感じてみようとしてみてください。
というものがあり、やってみたら、うなだれて「最高~!」とは思えないし、背筋ピンで「だる~」とはなれなかった。
人間には体があるわけだから、やはり体ってすごく重要なのだよね。
「健全な肉体に健全な精神が宿る」とか言うけれど、きっとそれは本当なのだと思う。
卵が先か鶏が先かと言うように、体の状態を上向きにすれば心も上向くし、その逆も然り。
そして、心を上向きにすることよりも体を上向きにすることのほうがおそらくイージーだから、
今井美樹の歌ではないけれど、「どんな時も 微笑みを絶やさずに 歩いて行こうと」と思ったとですよ。
って、話がとっちらかってきたけれど、東京は6月2日までだけど、その後は名古屋でやるみたいだから、
もしお時間とご興味あったら「ジーザス・クライスト=スーパースター」観てほしいなー。で、感想聞きたい!
夏だったり梅雨だったり毎日季節が微妙に変化する八王子の5月から、愛をこめて。また近々にね。
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