ハロー、こんにちは。ハローなんて書いて、この人、浮かれているんじゃないか? なにか良いことがあったのか?
そう思ってくださった方、残念ながらそうではありません。特にはそうしたことはありません。
じゃあ、なんで書いたかというと、ハローって書くとたのしいから!
言葉って、口にすればなおのことだけど、ただ文字にし、それを目にするだけでも気分に影響しますね。
試しにやってみてくださいな、ハローハロー。ヤッホーヤッホー。
さて今日は、前回書いた”人生の目的カード”を使い、
「今日ここに書くのにふさわしいテーマは?」と質問をし、おみくじ的にひいてみましたら、「動物」と出た。
動物??
まるでピンとこない。
そもそもこの「動物」カードは、本にあったものではなく、
このカードの楽しさをわかちあいたいと、友人とのお茶に持参したところ、彼女が加筆したものであります。
加筆当時も「動物?」と不思議だったけれど、
彼女が真っ先に引いたのが「動物」だったのは、当然といえば当然かもしれない。
だって、それがその人にとって重要なテーマだからこそ加えたのですものね。
とはいえ、二人して一瞬「はて、動物が最優先人生目的って?」となったのだけど、
そのときに、ピンときた光景があった。
ぼくは東京郊外は住宅街にある草むらみたいな庭つきの貸家に暮らしているのですが、
その庭に、アライグマがくるのです、しかも母子で。
初めて見たときはギョっとしましたよね、暗闇に動く何かは猫のようで猫ではなく、
近づいてくるそれは、そこらの野良猫よりもずっと獰猛な目をしていて、怖かった。
あまりの想定外の生き物の出現に、なんというか気持ちが悪くなったのでありました。
とはいえ人間は慣れるもので、時々のアライグマにそうビビることはなくなりましたある日、
近所のドラッグストアからの帰り道に、細い道路脇の排水溝の出口に日中にもかかわらずアライグマがいた。
え、と目を離せないでいると、排水溝からひと回り大きなアライグマがもう一匹出てきた。
彼女らは、皮膚の病気なのか、毛が痛々しく抜けており、
半分禿げた二匹は、やはりぼくには母子にしか見えず、
明るい昼間は排水溝で息をひそめて暮らし、安全度が高まる夜にエサを求めていっしょに徘徊している。
瞬間的にぼくの頭はそのような物語をつくり、そして「可哀想に」と思った。
さらに、彼女たちに自分ができることは何だろうか?
そもそも彼女たちはどのような環境、状況で生きるのがベストなのだろうか、どう生きたいのだろうか?
そのようなことが続々と浮かんできた。ため息がでた。やるせない気持ちになった。
「動物」のカードの本質的な意味とは、たとえばそのような生態系のこと、
地球規模での調和の象徴が「動物」なのかもしれない、とアライグマの光景から思いが巡った。
友人は、肯定的に「そうかもしれない」と言い、以前から、そのようなことを実はよく考えているのだ、とも言った。
ぼくは、そうしたことは突発的な出来事から時々考えるけど、ほどなく思考停止的になり、意識の下層に沈んでしまう。
そんな自分を、不遜だなあ、などとも思うのだけど、でもいいのかもしれない、と彼女とのやりとりで思った。
たったのお遊びみたいなカードのことではあるけれど、
とはいえ、人生には人それぞれ優先順位というのがあるのだろうと思う。
そしてその目的、テーマには上下優劣はない。
2010年代最後の現在の日本では、「お金儲け」みたいなことは、
世の流れとして、そんなに支持されていない人生の目的かもしれない。
けれど、その”そんな世の中でお金儲けに邁進する”という生き方、あり方こそを
その人がやってみたいと設定して生きているのだとしたら、誰も何も言うことはないのでしょう。
お金儲けの反対が何かがわからないけど、たとえば人生全部が奉仕、ボランティアみたいなあり方は、
個人的には眩しいけれど、とはいえ、その生き方が立派だということでもないのだと思う。
なぜならどちらも「その人がそれをしたい」という点においては同じだから。
なにを言いたいのかというと、ようするに、
自分の生きたいライフの追求以上に、その人がやるべきことはないのではないか、ということです。
なんだかものすごく身も蓋もないことを書いていますが、
ぼくはね、そういうことがずっとよくわからなくて、
自分の望みをを叶える生き方をしていてはダメなんじゃないか、とずっと思ってきたのですよ。
というか今もまだ葛藤している部分もある。
だからして、ぼくみたいな、シンプルなことを複雑にしちゃう系男女に向け、自分に向けて、
あらためてここに綴ってみることにいたしました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました!
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