最近、また「スピリチュアル・レッスン」というものに取り組んでいる私です。
来月誕生日があるもので、ふと、myニューイヤーを迎えるにあたり、
精神的、物質的な大掃除をしたいな、と始めました。
このレッスンは一昨年の秋だかに初めてトライしたところ、いろいろな手応えがあり信頼しているワークでありまして、
もしご興味もった方がありましたら「スピリチュアル・レッスン」なる本をお手にとってくだされ。
個人的に興味深いこととしては、1年半に一度熱心に取り組んだにもかかわらず、
なかなかに忘れていることが多いということ。
え、こんなことが書かれてあったのか。
え、こんなワークをやったんだっけ?
そうした失念祭りにかつては「ぼくはどうしてなんでも忘れちゃうんだろう」と自分を責めたものですが、
40代である自分に慣れてきた中年男子は、
自分を責める必要ないよな、なぜならこれが今の私なのだから! と開き直れていて、
そのあり方にわが進化を感じているのであります。
さて、ここに書きたいことがあるようなないような本日、
「スピリチュアル・レッスン」で、今回とても響いたレッスンのことが思い浮かびました。
そのレッスンとは”自分の人生の目的を探り、実際の人生とのすり合わせを行う”というもの。
人生の目的としての本にあった例題はたとえば、
「平和」とか「知識」とか「知性」とか「慈愛」とか「創造性」とか「裕福」とかであります。
もうちょっと実際的に、それを落とし込んで自分なりに表現してみますと、
私の人生の目的は、世界の平和を担う一員としてそのために力を尽くすことです。
私の人生の目的は、さまざまな知識を得て、深め、その知識を人々にシェアすることです。
私の人生の目的は、創造性を発揮し、唯一無二の人生をクリエイトすることです。
たとえば、こんな感じに、本にあった単語から膨らませて、
自分にフィットする文言をつくり、その”人生の目的”と、実人生を照らし合わせてみるわけです。
そうして、平和を目的としているはずなのに、日頃そうしたことは二の次、三の次で、
自分の快楽ばかりを追求して生きているなー、などと内観し、自分の人生の軌道修正を意識する。
(実人生をもとに、言葉的な”目的”を修正するのでもよい。「世界の平和」→「自身の快楽追求」みたいに)
この文章を読んでいるだけだと、ふーん、それに何の意味があるの?
などと思う方も多いかもしれませんが、「無意味じゃね?」などと言わず、
お時間あったらちょっとやってみてくださいな。
なんというのでしょう、自分の内側の信念みたいなものと、外側の現象、現実を検証するだけで、
ふしぎと気分が良くなるのですよ。内と外のねじれがほぐれるような、そういう心地よさ。
忙しいと、とにかく目の前のことをクリアーしていこうとなりがちで、
それはそれで「今を生きる」スタンスかもだけど、ちゃんと立ち止まるのが定年後で、
そのときには、疲れ果てて1ミリの方向転換もできません、となっていたらなんだか残念じゃないかとぼくは思うのです。
新しい年を迎えたときに、誕生日の前後に、満月や新月に、など、
こうしたことをするにおあつらえ向きな節目というのが、ありがたいことにたくさんある。
そして、今日これを目にして、気になったとしたら、今日があなたのサラダ記念日!ですよ。
ちなみに、本には、上記のような単語が20近くあり、それらを上から順番に並べていく、
つまりはプライオリティ付けをしてみて、とある。
野村メソッドでは、さらにこれを発展させましてね、
一瞬手間がかかるけど、思いつくかぎりそうしたワードを紙に書き出し、切り出し、
タロットカードをひくように、おみくじをひくように、
呼吸を整えた後に、目をつぶってひいてみることをオススメしております。
で、その”無意識の声”による順位をいったん「正解」とみなし、
今度はその順番を眺め、わきあがる思考やら感情やら意識の声をくみとってみると面白いです。
ご興味ないかもですが、ぼくの”正解”は、1位が「幸福」で2位が「知性」で3位が「安全」でした。
20数枚の中から一番に引いたのが「幸福」だったとき、思わず声が出ましたよね、そう、それ!と。
そして、意識で選ぶとしたら、灯台下暗し的に「幸福」を大事と思わないなー、とも思ったのでありました。
とにもかくにも、時々はそうして人生のメンテナンス、調整をしてみることが中年期にはとくに大事なのではないだろうか。
そう思い、本日はペンをとりまして候。
5月も終わりますねえ。
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