ぼくは、ありがたいことに、ひとりになることができる。
家には男のパートナー1名と猫が家の中に9匹、縁側みたいなところのダンボールハウスに1匹暮らす大家族なのですが、
家から徒歩30歩くらいのところに強い雨の日はやや雨漏りするようなアトリエを借りている。
そのアトリエのおかげで、ぼくはひとりになることができる。
その小屋をお借りする前はさんざん悩んだ。
絶対にそうした場所があった方が楽しいだろうな、きっとそこでの時間が大切になるんだろうなという予感はあったものの、
金銭的な心配はくめども浮上してきて、迷い悩んだ。
けれど結局は借りることにした。それがちょうど4年前。
今、ナウは彼がアトリエにいて、ぼくは自宅で膝に猫が1匹眠りながらこれを書いている。
彼は最近刺繍をはじめた。
ある日、それをやりだし(実は前からやってたのかもしれないけどぼくの目には入らなかった)、
それ以降、ほぼ毎日アトリエにこもって気の済むまでやっている。
彼は、もともと違うことを仕事にしてきているけれど、それとは別に、
自分の中に「何かをしてみたい」というような感覚があったよう。
だけど、それが何なのかがわからず、ずっと悶々としているようにぼくには見えた。
だからある日から堰を切ったように刺繍がはじまったことが本当にうれしかったし、
よくたどりついたねー、と、ねぎらい、たたえたい気持ちになっている。
彼の作品は、Instagramは「_new_peace」というアカウントで見られるので、
ご興味もってくれた方は、ぜひ見てみてください!
さて、今日書きたいのは彼のことではなかった。
ひとりになることがありがたい、ということであります。
猫はいるけれど人間は1名の先ほどからの私は、ひとりタイムの何をありがたく感じたかというと、
ひとりって自由だということです。
その自由とは何かというと、自分という人を、どのように扱っても自由ということで。
クレイジーと思うかもしれませんが、ぼくは先ほど、しばらくボーっとして、目の焦点がどこにもあっていないような、
なんならよだれをたらしそうなくらいにボーっとして、
それから「宇宙とつながってみよう」と思いたった。
そして「宇宙とつながります」と口にだしてみて、
意図したことは瞬時に叶ったという設定のもとに、宇宙とつながった生命体として、
しばらくそのままボーっとしながら、宇宙と自分がコネクトした、I am 宇宙なる自分としての時間をすごした。
宇宙とつながったからといってなんだということは、けれどなくて。
まあ、せっかくだから、
これからニュー男子を書きますが、なにを書くのが宇宙的調和にもっともよいですか?
と、問いかけてみたら、「自分のことを書く」というメッセージ。
尋ねた私Aは、「なるほど!」と思い、こうして私的なことを今日も綴っているのですが、
個人的に「自分のことを書く」が宇宙的調和につながるという答えが腑に落ちたのであります。
誰しもオンリーワン、似ていてもまったく一緒という人はおそらくいないわけで、
となると、自分が自分である、あるがままであるその生命のもっとも自然な状態こそが、
もっとも調和的であるだろう。そう思ったのでした。
話を本題に戻します。
ひとりの時空間の自由って、そんな風に「宇宙とつながります」と宣言して「宇宙とつながってる!」と思い込んでみたり、
はたまた宇宙とつながったら変な動きがでてきちゃったし、何語かわかんない言葉みたいなのがでてきちゃった。
ってなことも、やってしまえたりする。
10数年一緒に暮らし、けっこうなんでもかんでも見せてしまっている彼に対しても、
やっぱりどこかに「こんな姿は恥ずかしい」「どう思われるんだろう?」という意識がはたらく。
それが”社会性”というものかもしれず、社会の一員としては必須な意識なのかもしれないが、
その意識が、自分を型にはめてしまったりする。
これからの時代は、おそらくますます自分であるということが重要になるのだろうと思う。
詳しくないので薄っぺらい見解になりますが、
AIがさまざまなことをこなせるようになった未来には、
誰でもできる、あるいは誰がやったかわからない均一さが求められる作業は、
場合によってはAIが引き受けてくれるようになるのかもしれない。
そんな世界での私たち人間は、それぞれの唯一無二性を自ずと発揮、表現するようになるのではと思うし、
その”その人らしさ”が価値となるのではないかな。
(たとえばAIがいれてくれるお茶は100円だけど、あの人のいれてくれるお茶は1000円みたいな)
毎度ながら何を書いているのかわからなくなってきましたが、
ひとりのときを持てる人は、せっかくなので、バカみたいに自由になってみたら面白いと思う。
ひとりのときはそして、都会だったらカラオケボックスだったり、田舎だったら川とか森とか、
欲すれば手に入るものだろうと思います。
以上、今日はかなり自由に書いてしまった。大丈夫かな。でも、ま、いいか。
そういう感じのナウの私から、いつかのあなたに向けてお届けしました。
ご清聴ありがとうございました!