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【ニュー男子】ご褒美人生はじめます



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昨夜、お誘いがあってかつてのバイト仲間と再会し飲んだ。
ぼくのアルバイト歴はだいたい飲食店なのだけど、
ただひとつ、毛色が違うものとしてはラブホテルの清掃ってのがある。
大学進学が決まってから大学に入るまでの何ヶ月間か、
友だちが先に始めていたビジネスホテルみたいなラブホテルで、ぼくもやりたい!ってバイトすることとなった。

そこに勤めた期間はあまり長くなかったけど、けっこう濃厚に覚えていることがある。
お正月は、ザ・日本の正月風お琴のあのメロディーがエンドレスリピートされ、
こうしたところでも正月は正月なのだなあ、としみじみしたあの頃は、
自転車でどこまでも行ける、みたいな状態で、坂を下り坂を上りティナグレースという名のそこへ通った。

そのバイトですごく心躍ったのは食事。
たしかカップ麺とかそういうインスタント食品を好きに食べてよくて、
当時も今も食に対する関心はかなり低いのだけど、
好きなだけ食べてよい、ってことにものすごく贅沢さを感じたのでありました。

さて、今日書きたいのはバイトのことではなかった。
昨夜の集合場所である町田という街に早く着いたので、
なんとなく足にまかせていたら大型書店に到着し、本を買いたい気分はゼロだったから、
万引きGメン的に店内を目を光らせつつ徘徊し、すぐに文具コーナーへ到着。

文具だって買う気はなかったのだけど暇だったから、
小さい特設コーナーを用意されたおそらく新作シャーペンをなんとなく試し書きしていたら、みるみる自分が活性化し、
100円とかじゃない私的高級シャーペンをいつしか「欲しい」という気持ちで、
しゃがみこんで真剣に試し書きし始めていた。
0.7mm、0.9mm、1.3mm。ラバー付きの500円のとメタル仕様(?)の1000円。
つまりは6択。さらに専用の芯はHB、B、2Bとある。

ぐるぐる手を動かして絵みたいなものを描いたり、「これは書きやすい」とか文字を書いてみたり、
いったい何分くらいそこに鎮座していたのだろう。

「身分相応」みたいな不要な意識を手放しながら、これは出会いなのだという意識がふくらみながら、
最終的には、重量感のあるメタル仕様は0.9mm、芯は2Bを購入。
ミュージカルみたいに非日常なステップをふみ回転しながら歩きたいくらいのよろこびに包まれた。

1000円のシャーペンって高いと思う。
ぼくの年収とか今日までのお金の入り方とかを鑑みるとまったく高い買い物と感じたりもする。
だけど、たとえばその町田への往復に1000円くらいはかかるがその1000円を高いとはあまりならない。
1000円が高いのではなくシャーペンに1000円は高いのだった。

でも、その「シャーペンに1000円は高い」って何だろう? ただの観念だ。
その観念は、人類共通のものではおそらくない。

どこまでもおいしいワインが飲みたい、それが1杯4000円とかするものだって、このワインなら4000円は妥当。
そう思う人はいるだろうし、その人が大富豪であるかといえばそうとは限らないはず。
ぼくにとって、このシャーペンは1000円だって、手に入れたいものなのだ。
それだけ自分にとっては描く、書くための道具が大事であり、描く、書くことが大事ということだ。

高い安いという値段は、なにを今さらだけど価値観に基づき感じるもの。
つねに「自分にとって」という前置きが入るしろもの。
そして、1000円のシャーペンを「高い」「贅沢」「不相応」と判断する声とは、
かつてのぼくが取り込んだ誰かや社会からの価値観の声なのだった。

そんな脳内セルフ問答というワークを終え、お金へのブロックがとれた私は、
ものすごく惹かれたすてきな、高級な無地のレポート用紙も買った。
しめて2000円ちょっとだった。

会計を終え、自分をミュージカル俳優みたいに弾ませたのは、自分に与えることのできたよろこびだった。
このお金の使い方は最高だ、と感じた。
さらに、このような”ご褒美”的なあり方をヨシ! と思った。

一夜明け、朝からそのシャーペンで顔を洗う前にそこらにいる猫をさささと描いた。
満たされた意識で、ああいい買い物をした、と昨夜の自分を褒め、思った。
この人生いつ終わるのかぼくは知らないんだよなあ、と。
もしかしたら今日なのかもしれないし、この原稿を書き上げる前に突然42年の生涯を終える可能性もある。
だとしたら、ご褒美でいいのではないか?
なにかをやったからご褒美になにかを与えるのではなくて、終始終日毎日ご褒美!
それは浪費をするということではもちろんなく、
眠たかったら、寝てどうぞ。
食べたかったらお食べなさいな。
行きたくないならパスだし、会いたかったら会いたいと言おう。そういう話。

おそらく、何かを頑張ったから褒美をもらえるという発想もまた、
いつか誰かから取り込んだ誰かの仕組みにちがいない。
その飴と鞭的アップダウンが好きならいいけれど、
褒美を得るには苦労をしなくては、とわざわざ重たい荷物を背負う必要はない。
けれど根深く苦労や頑張りと褒美がセットになっているのだったら、
今日まで生きたそのことを「よくやりました」と評価し、わたしに褒美をとらせましょう。
そう思った。

さて、そのタガが外れた的発想はどのような現実を生むか。
わたくししばし実験をしてみようと思いますので、またきっとご報告いたしますね。
本日も非常識人間のごにょごにょにお付き合いいただき誠にありがとうございました!

 





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