先日、仕事の打ち上げに出かけた。
夜の20時スタートの食事会。
通常のわが家での20時は、とっくに夕飯を済ませコーヒーとか飲んでいる時間帯。
20時に新宿某所に行くためだけに家をでると考えるとなんだか腰が重くなりそう。
ということで、もうひとつ用事を加えて明るいうちに都心へ向かった。
そうして最初の用が17時には終わり、時間だけはたっぷりあったので歩いた。
ぼくはnotスマフォユーザーなもので、家をいったん出てしまうと地図がわからない。
だから15年前の人みたいに自宅のパソコンで地図をひらき、ざっくりとデジカメで撮影。
それをたよりに初めての場所に向かうのが常なのだが、
常なわりに、ほとんど毎回といっていいくらい迷う。
地図が読めない女、みたいな本が昔あったけど、ぼくは一応男ながら地図が超苦手。
勘は冴えているという自己評価であるが、こっちだろうって意気揚々進む方向が真逆ってこともよくある。
その日は時間があったのと、新宿という馴染みのエリアだったこともあり、
確信をもって歩いて行き、そろそろ着きそうだな、早く着いちゃったな、と思っていたら、
そこは目的地とはまるで違う場所。
あわててデジカメ地図をだしてみたが、
謎の自信があった数時間前のぼくは、拡大地図を撮影しておらず、
現在地点から目的地へどう向かっていいかがわからなかった。
そして、人に聞いた。
1人目に尋ねた駐禁切符切る人は「よくわからない」と言い、
2人目の女性は、「歩いていくんですか?」とちょっと驚きつつも教えてくれ無事に到着することができた。
もしスマフォをもってたら、きっと迷うことはなかっただろう。
早く着いた土地でお茶でも飲みつつゆっくりできたかもしれない。
だけど、人に尋ねたことで、ぼくは初めて駐禁切符切る人に親しみと感謝をおぼえることができた。
そうして思った。ぼくはこの不便さをけっこう愛しているんだなあ、って。
そういうことって実はある。
性格とか自分の欠点とかを「もう嫌だ」「残念だ」「なんでこうなんだろう」などと嘆いてみる一方、
そんな私をどこか愛していたりする。
さて、20時開始の打ち上げはまずご飯を食べて、
それから新宿ゴールデン街に移動し、ゴールデン街をはしごすることとなった。
ぼくは終電が12時くらいなので「野村くんはそろそろだね」なんて感じだったのだけど、
朝まで付き合うから今日は飲もうよ、などと12時近くに言われ、
その言葉の感じがうんと響き、迷うことなく朝帰りを選んだ。
人の発する言葉には、エネルギーがのっている。
これはたんにぼくの受け取り方の問題だけど、
その夜のその言葉には熱があり、その熱には一瞬でぼくの予定を変える力があった。
言葉って魔法なのだ。
話はうんと変わりますが、今日は書きたいのはSMAPのことでありまして。
三軒目のバーというかスナックというか小さな飲み屋で、
こちら側のリクエストでジャニーズの動画を流してもらっていたのだけど、
Youtubeはどんどん動画を流し、あるところからSMAPメドレーみたいになった。
いつ解散したのだっけ、おととし?
だとしたら、ほとんどおととしぶりに見たSMAPの歌い踊る姿に驚いたのである。
あの頃は、当たり前で気がつかなかったのだけど、
その夜に見たかつての彼らのパフォーマンスは、奇異だった。
なんというのでしょうか、踊りや表情、歌唱、衣装などトータルで、「わがまま」なのだ。
それぞれが自分の個性?キャラクター?立ち位置?を確立させ、”我がまま”に表現しているように感じた。
実際は違うのかもしれないが、自由を感じた。
テレビというメディアに住むように存在し、
彼らを好きでもない人さえも「ああ、あいつね」みたいな知り合い感覚で認識していただろうグループ。
あまりにもなじみすぎていて、彼らが何をどうしていようが、
ひとつひとつの仕事の評価があまり意味をなさないくらいの不動感。
そんな背景があり、5人は我がままに自分を表現している。
自身の感覚、感性に従ってパフォーマンスすれば、
たとえ音程が外れようが踊りがバラバラだろうがそんなことはなにも問題ではない。
そうした”確信”が彼らにも、彼らのパフォーマンスを伝えるメディアにも、
受けとるファンやファンではない人にも考えるまでもなくある。そういう印象を受けた。
以前、香取慎吾が何かの番組で
「24時間カメラに撮影され、放送されても全然平気」ってなことをたしか言っていて驚愕したことを思い出した。
(そんな人、芸能界広しともほかにいるのかな? )
そうした人たちがSMAPをやっていた。SMAPという国民的スターをやっていたのだ。
当たり前に彼らを見ることがなくなった「以後の世界」で再会したSMAPに、
彼らがテレビを通して見せていたものは、極度の”自分らしさ”みたいなものなのかもと思った。
これから先のテレビ界にはきっと彼らのようにふるまえる存在はあらわれないと思うとき、
SMAPの偉大さをしみじみ感じた私なのでありました。
ちなみに、個人的SMAP史上いちばん思い出深い歌唱は、
歌の特番で人があふれる浅草だったかの通りを、
5人が横並びでひたすら前へ前へと歩きながら歌った「JOY」であります。
This is SMAP!! という感じで、目が釘付けになったのでした。