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【ニュー男子】幸せの青い鳥-大野くんの休業に思うこと-



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大野くんの休業のニュースを知ってから、頭の片隅にずっと大野くんのことを考えてしまう自分がいる。
安室ちゃんの引退のニュースを知ったときと似たようなモヤモヤがある。
でも、ふたりのケースは同じではもちろんない。
個人的な感覚だと安室ちゃんを思うとき山口百恵が浮かぶ。
やりきって、次のことへ行く。
やりたいこと(やるべきこと)を達成し、それにともない生じて責任も果たし、
そうして芽生えた新たな自分の夢のためにひとつの幕を閉じる。
そういう印象。

大野くんの場合、それとはちょっと違う気がする。

実はこんなに気にはしているが、嵐の会見は見ていなくて、情報源は友だちの話と目に飛び込んだネットニュース。
(たのしい人たちの深刻なシーンを見たら自分も深刻になりそうで見ないようにしている。余談だけど「笑っていいとも」の最終回も見なかった)
その他のほとんどは単なる自分の妄想、想像なのでおそろしく見当違いかもですが、
好き勝手に綴ってみることにします。

大野くんは、休業じゃなくて引退を希望したんですよね?
(と原稿を書いてから、編集部Sさんより会見の動画が送られ、引退なんて言ってないと知りました。憶測をすみません!)
その真意としては、絶対にやめたい、金輪際やりたくないってことではなくて、
「休業」という申し出は、無責任だと考えたからなんだろうなと思う。
また、期限付きの「休業」では、心の底から休むことはたぶんできない。
そういう「休暇」ってレベルではなく、本当に「もう全部忘れていい、自由だ!」って感覚を生死をかけて彼のどこかが望んだのだろう。
死ぬほど悩んだにちがいない。大野くんがどういう思考回路かはわからないけど、
自分の思い当たる記憶だと、「これをやめるなんて絶対に許されないから死んでしまいたい」、
そういう”or die”というレベルで悩んだのではないか、と思う。
それだけのしかかっているものが尋常じゃない重さということ。
それだけ自分がそのことに対して責任感をもってやってきているということ。

その責任感って、その大きさは違えど多くの人にあるものだと思う。ぼくにだってある。
だから、その苦悩のほんの一端だろうが想像することができ、シンパシーをおぼえてしまう。

大野くんは「自由な生活がしてみたい」と言ったらしい。
それを聞いた友人が「名声もお金も才能もある、多くの人から見たらうらやましい人が、私たちが当たり前にもっている”普通の生活”に憧れたんだね」
というようなことを言っていた。
彼女が思ったように、たくさんの人がそのようなことを感じたのだとしたら、
それは多くの人が「幸せの青い鳥は自分の中にあるのだ」ということに気づくきっかけとなったのかもしれない。
だとしたら、なんてすごいことだろう! と思う。

とはいえ、大野くんが日本で普通の暮らしができるかといえば、それはそう簡単なことではないだろう。
無名人は、コンビニでだらだら立ち読みしたり、飲んでどんちゃん騒ぎをしたり、無愛想にタクシーにのったり、シルバーシートに座ったり、
ちょっとだけ後ろめたかったり、人目をほんのり気にしてしまいそうなことも、たいていその”罪悪感”めいたものはその場限りで抜けていく。
だけど、顔と名前が知られた人は、そうそうそんなに外の世界でリラックスできないにちがいない。

ぼくは、よくそういうことを思う。
実はお金をぜんぜん持っていなくて、完全にウィンドーショッピングなのだけど、
さもお客であるかのように、むだにブラブラしていて、ああ、有名でないって自由だなー、って思う。
その時に浮かぶのが平井堅さんの「fake star」という曲の「一度知られた顔と名前を 世間は忘れない」。
有名になった人の中に生まれる闇のようなものとつながれる一節で、何度思い出してもドキっとしてしまう。

個人的な、希望的観測ですが、大野くんはいつか戻ってくる、ぼくたちの前にまた現れて、夢を見せてくれるんではないかと思う。
でも、すぐにではないんだろうな。
ぼくは週刊誌の専属記者をやめるという経験をしているのですが、
毎週木曜日が「入稿」の日で、徹夜で原稿を書いたりもしていた。
やめてから半年経っても1年経っても木曜日がくると「あ、入稿日だ」となり、その「あ」から編集部のビジョンが流れだし、
こうして働いていない自分はいいのだろうか? と罪悪感がわいた。
さすがに今はその感覚はなくなったけれど、抜けるまで何年もかかった。

大野くんなんて、「自由な生活がしてみたい」ですよ。「してみたい」。
自由な生活をした記憶がないくらいに何十年も「自由と感じられない生活」をしていたのでしょう。
その”感覚”が完全に抜けるなんて、いったいどれくらいの月日が必要なんだろうか?

さて会見で、大野くんは「見た目をキープする」というような発言をしていた。
人の目を気にしない自由を求めながら、人の目のための見た目を保ちます、と公の場で宣言したその心は、
やはり引退ではなく休業なのだと思わせ、なんだか泣ける。

彼は自分の休業を、「わがまま」と思っているのではないかと想像する。
わがままを言って、期限を決めずに休ませてもらう。
その恩に報いることが「見た目をキープ」。
自分には帰っていく場所があり、それを待つ存在がいることを忘れません、という宣言にぼくは感じてしまった。
その責任感は、きっと彼をもう一度ステージにあげることにつながるのではないかと思った。
(そういう”希望”は、未来の彼を縛る力になりそうで、あまり思うものではないなと感じるけれど……)

とにもかくにも、嵐にたくさん楽しませてもらってきたぼくとしては、
この度のニュースはショックではあったけれど、休むことを実行する大野くんも、それを認めたメンバーや周囲の人たちも、すごい!と思った。
あれほど背負うものがある人が「休む」をできるのだから、
「自分がいないと!」という責任感で死にたいほど苦しむ人は、彼らの勇気にならい、休んでしまいましょう。
まだ残る「24時間働けますか?」的価値観が社会から完全に抜け、「仕事よりも命」が当たり前の時代への”エポックメイキングな休業”になりますように。

 





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