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【ニュー男子】満月と神と



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昨夜は皆既月食の満月だったそうです。
昨年、約半年間西洋占星術の基礎を学んでからというもの、毎日のように占星術のブログなどを読むことが習慣づいている。
それはたのしいのですが、ふと今朝、それに囚われている自分に気がついた。

西洋占星術に興味がない人は、たとえば満月はただの満月で、「きれいだねー」で終わるものかもしれない。
ぼくはといえば、プロによるその満月の解釈をいくつも読み、ふむふむと頷いている。
そして、そこに書かれている意味や、意味から導き出されたこれからのエネルギーの動きを、あたかも真実のように受け止める。

きのう、自分の中で気がかりだった案件が一段落し、ホッとし、久々に開放的な気持ちになっていた。
しかしながら今朝は、心がざわざわと落ち着かない。
はて、どうして? 何が不安なの?
そう自分に問いかけたところ、不安のルーツが占星術の”予言”にあったのでした。

星の動き的にどうだ、こうだ、という話は大変面白いけど、自分の心のありかたが予言に支配されてしまうのだとしたら、それは面白いをこえている。
日々をより生き生きとさせたくて学び始めたはずが、いつの間にか逆効果を生んでいてビックリ。

さて、目につく文章に、「神は自分の中にある」ってなメッセージが多いこのごろです。
神は自分の中にある、ってどういう意味だろう?
スピリチュアル的なことはひとまず、たしかに自分が何を目にするかは自分次第である。
目にしたもののどこにさらにフォーカスするかも自分次第。
その情報やら光景に対して、何を思うのかも、どれほど目にしたものを引きずるかも自分が決めている。
そのように考えてみたら、なるほど自分の現実をつくっているのは自分。
I am 神ということになる。

だけど、「たまたま目に飛び込んできた」、「考えたくないけど考えてしまう」、「忘れたいけど思い出してしまう」
などということは往々にしてある。
そちら側の視点に立つと、現実はつくられ、与えられているともいえる。自分じゃないものが神、となる。

では、どちらが真実なんだろう?

真実を真実と決めるのは、自分だ。
科学的に正しいから真実と思うときには、”科学的に正しい”を絶対視する自分の価値観に従っているわけだし、キリストがそう聖書でいっているから真実という際には、キリストを信じるという自分の選択による。

そのように考えてみると、どうしたルートを通ろうが最後の最後には、「それを真実とする」という”真実認定印”がいる。その”印鑑”を押すのは私。
だから、やっぱり、I am 神。でよいかもしれない。

ということで、まんまるから、私たちをさらに豊かにする光をぞんぶんに浴びさらに豊かな私から、本日もごにょごにょ言わせていただきました。
最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました!

 





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