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【ニュー男子】ピントの問題



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テレビを音声を消して見ることがわが家ではけっこう普通のことである。
番組中はまだしも、コマーシャルに入るとほぼ消音にしている。
そうして無音フェーズをはさむと、いかにテレビが賑やかかということがよくわかる。

その昔、ぼくの記憶が正しければ北野武さんが、
「どうして外国俳優が演技が上手に見えるかといったら、字幕が付いているから」というようなことを言っていた。
そうした指摘を聞くと、たしかにそういうことはありそう。
だって、演技に対して全部テロップがついているようなものだもの、
音を耳だけで捉えるよりも情報量が多く、より「わかりやすい」のかもしれない。

さて、テレビの消音化についてですが、
意識的にその機能を活用したことのない方は是非やってみていただきたい。
外国映画の話とは逆に、音声という情報がひとつ減ることにより、見えてくることがあると思うのですよ。
そう、よく見えてくる。

アナログ放送がデジタル放送に変わるだとか、
ハイヴィジョン放送が始まるだとか、そういうテレビのアップデート時に、
「粗が見えるから大変」みたいなことを出演者側の人がテレビで話すのをよく聞いた気がするけれど、
それとはベクトルは違うが、音をシャットダウンすることで、
そこに映る人や、その映像をつくる人の意図というのか企みというのかがクリアーになるように思う。

具体的なたとえを出さないと、伝わらないということはわかっているのですが、
残念なことに、どうにもよい例題が浮かばず、もどかしい。

なんだろうな、たとえば、音を消していると映像のカット割りやカメラワークというものが、
音ありのときとは比べものにならないくらい気になったりします。
え、こんなに細かく画面が切り替わっていたのか、と驚く。
テレビドラマを音無しで見ていると、あれ、この人の演技は嘘くさいなー、とか思うこともよくある。
それから、そのようにテレビを見ていくと、
表面的には違う番組が、実はものすごく類似しているということもよく思う。
いろんな番組が「アド街ック天国」や「秘密のケンミンショー」に見えてくるのである。

そうしてそのような”気づき”は、テレビというものへの距離感を「没頭」という近距離から、
「傍観」的なものへと離れさせることになる気がする。
そんな距離感じゃつまらないでしょ、という意見もありましょうし、それもそうなのだけど、個人的には、傍観が心地よい。

目をつぶってみると、音がよく聞こえることはある。
「耳をすませて」と誰かに言われすませてみると「あ」と捉えていなかった音が聞こえてくることもある。
人間の五感は自然に発動しているものだと思うけれど、フォーカス機能もあるのでしょう、意識を向けるとその機能が強まる。

昔、通っていた写真学校の教えに、
カメラのオートフォーカス機能は使わずマニュアルでピントを合わせろ。というものがあった。
人間って、無意識にしているとある意味オールオートフォーカスなのかもしれない。全自動人間。
それでも十分たのしめることは間違いないけれど、
時にはマニュアルで、意識的にピントを合わせることで、
日常の中に発見が生まれ、五感や思考などの機能が磨かれるのだと思う。

そうして、”ピント”というものへの意識が高まり、
苦手な人の苦手を見つけてさらに苦手になることや、好きな人の好きなところを見つけてさらに好きになることもまた、
単なるピントの問題ということが腑に落ちたならば、がぜん生きやすくなるのに違いない。
とはいえ言うは易く行うは難し。
わかっちゃいるけどできないよねー、みたいなところがまた人間体験なのかもしれませんがね。

ちなみに今朝の私は「部屋が猫のおしっこ臭い!」にオートフォーカスされ、猫にイライラしている。

 





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