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【ニュー男子】吉原炎上にて



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この間、吉原炎上を見た。
もちろん実際の火事に遭遇したのではなく、五社英雄さんの映画をレンタルDVDにて鑑賞したわけですが。
個人的に(すべてが個人的な話だけれど)、とても印象に残っている。
何が印象的だったかというと、見終わった直後に「自分がとても満足していた」ことである。
そうして「いい映画だったー」と思ったけれど、あらためて振り返ってみると、
生意気をいえば、詰めが甘いというか、けっこうゆるいストーリーと感じた。

見ていない人にとって「まるでわからない話だ」と思うかもしれませんが、どうぞご安心を。
書きたいことはそのスジとか演出がどうとかいったことではなく、
満足感と内容の精度というかきめ細かさはイコールではない、と体感したことに驚いたということなのであります。

興味をもった方はぜひご覧いただけたらと思いますが、
まず、物語としては遊郭の花魁のシンデレラストーリーみたいな感じでして、主人公を若かりし名取裕子が演じている。
その、顔というか演技というか表情というかに、
21世紀の名取さんを2時間ドラマなどで知っていると、なんともふしぎな気持ちになった。
風格が体型にもあらわれていそうなあの名取さんが少女なのである。
けれど、顔はそのまんまなのである。
そして、その名取さんは何度も乳などを見せる。
べつにぼくは乳には興味はないのだけど、その姿はありがたかった。

世の中には「脱ぐ必然があれば脱ぐ」みたいなフレーズがありますが、まさにその必然のある映画だった。
その必然とは、物語上の必然ということ以上に、作品に対する製作者たちのすさまじい熱量。
監督の想像世界の中にある女たちの悲哀やら狂気やらの圧倒的な美を、監督が確信している、
そして、その確信をもとに、セットやら脚本やら照明やらすべてが同じレベルの熱量をマストとしてつくられる。
その「熱量」を女優がこの仕事であらわすとき、「脱ぐ」という姿勢が当然となるのだろうと思った。

そうした”熱の集合体”を前にすると、我が重箱の隅をつつく的な粗探しEYEはクローズし、
とにもかくにも「満足した!」となってしまったのだった。

その「熱量に心が動く」という体験は、とても興味深いものだった。
こう見えて私、どうも完璧主義的な部分がありまして、
ちゃんとしなきゃならぬ、整合性がとれていなくてはいけぬ、みたいな合言葉を持ち、
そのきっちりした目が、自分のすることに対して「NO」を言い、「自分にはできない」を突きつけてくる。
もちろん、完璧を目指すことは大事なのだろうが、
それ以上に、没頭すること、自分が行うことの虜になることこそが重要で、尊いのかもしれない。
良し悪しはひとまず、人の記憶に残り、語り継がれる作品とはそうして創られているのかもしれない。

寝正月の「吉原炎上」は、ぼくにそんなことを教えてくれたのであります、
やりたいことはおやりなさいな、なぜならそれはあなたの中にしか存在しないのだから、
ただし、思い切りやらないとね、その妄想は人の心には届かないわよ。
脳内 名取裕子がそう言うのであります。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 



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