絵を描いている時ってどういう状態なの? と、時々興味を持ってくれる人がいる。
周りのものが目に入らないくらいに集中している感じ? などと素敵に想像してくれる人もいるが、そんな状態にはない。
ざっくり表すと、描いている自分と、それを見ている自分が分かれているような感じなのだろうか。
「あ、そこにそこにその色をもってくるのか」ってなギャラリー的自分と、実作業をしている自分が少なくともいる。
ギャラリーの私は、まるで別のことをぼんやりと考えていることもある。
ただ、こんなことを書いたら千田くんに悪いが、
ふだんアトリエで描く際に音楽をかけることも多いが、それを楽しめるのは最初の方だけで、
気がついたらCDが終わっているってことがある。音が気にならないくらいに集中はできているのかもしれない。
イベントは前半と後半に分かれ、前半はパーカッション、後半がマリンバだった。
パーカッションの演奏は、もちろんメロディーがないので、なんというのだろう、音と音の間がすごく気になった。
むしろ、その静寂を聞いているような感じがした。
で、突然鳴る音にすごくびっくりする! そういう瞬間が何度かあった。
ライブペインティングは行うのも初めてで、誰かのを見たこともなかった。
なのでどういうものなのかがよくわからない。
ぼくに関して言えば、音にあわせて絵を描いている感覚はあまりなかった。
だけど、音と音の感覚がひろい無音の時間に、意識がどこかから引き戻されるようにも感じたので、
やはり、音によってなにかしらの回路とつなげてもらっていたのかもしれない。
ぼくはマイペースと見られることもあるが、自分では全然マイペースと思っていなくて、
むしろ人の動きをとても気にしているタイプなんじゃないか、と思う。
このときは、来てくれている人が楽しめているのかが気になる瞬間が何度もあった。
「音は鳴っているとして、おそらく目線はぼくと絵に向かうのだろうと想像すると、
ぼくが絵を描く様がお金を払って見るような価値があるのかわからないし、そのような価値があると自分では思いがたい。
でも少なくとも”人目を気にするよりも集中して!”という感じだろうから集中、集中!」
などと意識を絵に向かわせる必要があった。
そうして前半の40分間が終了し休憩。
初めてセックスしたときってあんな感じだっただろうか。
体が熱をおびていた。冷静なんだけど興奮していた。その興奮が自分の意識とは別のところからやってくるような感じもあった。
そんな不思議な状態にあったけれど、ぼくは来てくれている人の様子がやはり気になり、
楽しめてる? 大丈夫? と声をかけてまわった。
するとある友人が「楽しめている? 楽しんでね」と声をかけてくれた。
後半冒頭はその言葉がグルグルした。「ぼくは楽しめているのだろうか? 楽しむってなんだ? ぼくはなにが楽しいんだろうか?」
そうして出た結論は「YES!ぼくは楽しんでいる!」。
ぼくは、絵を描くことに集中しながらもフラッシュバック的に人が楽しんでいるかが気になる自分というものを楽しんでいる。
おそらくそんな”自分という人間”がだだ漏れだろうこの人目にさらされる状態を楽しんでいる。とてもエキサイティング! と思っている。
これまでぼくは、人の目を気にする自分をいつも残念に思っていたが、
けれど、そんな自分の根底には、「人に嫌われたくない。人に好かれたい」というものだけがあるのではなく、
「人によい気分でいたほしい。みんなで楽しみたい」というものもあるのだと気がついた。
偽善者っぽく思えて認めにくかったが、自分と時空をともにする誰かが”いい気持ち”であるために、
その目や空気を気にしている人でもあるのだ。だとしたら、そんな自分をネガティブに思う必要はそうないのかもしれない。
そんなことを思った。
絵は、見事に描き終わった。いや、見事かどうかは人が決めることだけれど、
少なくとも1時間強の間、絵と向き合いつづけ、自分と向き合いつづけ、とにかく無事に完成させることができた。
来てくれた人にお礼を伝えて送り出した後、放心してしまった。あんな放心状態はこれまでに知らない。
サウナで死ぬほど汗をかいたってあそこまでにはならないだろう。
集まってくれた方々のエネルギーのおかげで、多くの目にさらされて、ぼくのどこかは昇華されたと思う。
恐れや不安の自分はまだ健在だけれど、少なくともそんな自分との関係性に変化があった気がしている。
「それも私」と、チームみたいに思う気持ちが強くなった。
この度は、誠にありがとうございました。
おかげさまでライブペインティングは個人的には大成功におわりました。
千田くんは「年1回やりましょうよ」と言い、ぼくは「え……?」と答えてしまったけれど、またやりたいとは強く思っています。
もしも、そんな機会がありましたら、ぜひぜひよろしくお願いいたします!
ニュー男子 拝