人気俳優から通販王&ガス利権まで…保阪尚希さんの「保阪流」生き様を拝聴!【前編】90年代、トレンディ俳優として活躍した保阪尚希さん。子供時代の憧れの人はいま、通販ブランド『保阪流』で10億円を売り上げる通販王として名を馳せるだけでなく、イランで5千億円ものガス利権を手にしたとも報じられています。その類まれなるビジネスセンスと、色褪せない男っぷりの秘訣を伺うべく対談させていただきました! 色気あるバリトンボイスが発する迷いのない言葉は名言の嵐。ワキ汗止まらなかったです!
人気俳優から通販王&ガス利権まで…保阪尚希さんの「保阪流」生き様を拝聴!
1. 保阪尚希の「保阪流」。7歳で両親が自殺、自立せざるを得なかった
緊張が隠せない僕!
美容男子? 誰が見るの?
——20代〜40代の男性がメインですが、結構女性にも見ていただいたり。
最近の若い子はお金ないじゃん。
——そ、そうですね。とりあえず役立てるメディアを作りたいと思っています。
うん。
——この連載枠では、さまざまな道を極めた方に「いい男」とは何かを伺っています。今回は我々世代の憧れでもある保阪尚希さんに、「保阪流」の生き様を語っていただきたいと思います。
「芸能」という点で言えば、今は、ぽんと売れる子はいても継続しない。ギャラも我々の頃の下手したら10分の1とかですから、自信がないんだろうね。芸能人もテレビに出る以上人から憧れられる存在であるべきなんだけど、そこまで気が回らないんじゃない。
そこも含めてのギャラなんですよ。人生売ってるわけなんだから。僕なんか人の何倍働いたかわからない。
一番遊びたい、18ぐらいから32まで、年間の休み2日しかなかったですから。ただ、その分お金は持っていました。
——華やかなイメージでした。
今の子たちは華がないから、憧れる一般の子がいない。隣の兄ちゃんみたいな、インスタとかYouTubeのなかのスターを作る。でも、どこか神秘的じゃないといけないんですよ。僕は変装もしないし女の子連れてどの店でも入るというスタイルでいますけどね。
——保阪さんのそうした矜持というのは、どこで醸成されたんですか?
そもそも7歳になってすぐに両親が自殺しているので、否応なく独り立ちしているんですよ。祖母がいたので施設には行かなかったけど、1歳になる妹がいまして。それで、子どもながらに「おばあちゃんは妹のためのものだな」と思ったことを覚えています。
——その頃には「保阪尚希」の素地は形成されていた。
でしょうね。13歳から芸能の仕事を始めて、15で東京に出てきていますけど、全部自分で決めました。10歳になる前には、もう基本はできていましたね。
——早いですね、自立が。
せざるを得ない状況だったんですけど。親がいなければ、たぶん芸能界には入っていなかったでしょうね。
政治家になっていたかもしれません。
——それはそれで興味がありますが。
政治家の友達もいっぱいいますけど、つまんないよ? 下手に立候補したら痛くもないところ探られたりさ。
——自由の対極ではありますよね。
いいんじゃない、立候補したら?
——ぼ、僕ですか? いやいや!
若手は必要とされていますよ。ただ、完全なる縦社会ですけど。
——縦は…苦手ですねw
このぐらいの年の子でも、縦社会が苦手でしょ? だから頭一つ抜け出る存在が少ないんですよ。僕らの頃はみんながやり手だから。
2. 保阪尚希の「保阪流」。「保阪尚希」という一企業。
——保阪さんの人生は波乱万丈だったとは思いますが、こうしてお会いしてみると、やっぱりカッコいいです!
酒もタバコもクスリもやらないからね。ギャンブルも。
——クスリ!
僕らの頃は、買おうと思えばトカレフまで渋谷で買えた時代ですから。
——は、はい。

おおぅ…
——クスリその他はともかく、酒やタバコをやらずに済んだのはなぜですか?
元々嗜好品に興味がないんです。ガムも飴も食べないです。
——逆に何にいちばん興味があったんですか?
何も興味ないかも。実は。
——えっ。
昔はインタビューも嫌いだったんです。
そもそも生き方もボキャブラリーも、性別も違う人に30分や1時間話をして伝わるわけがないんです。10紙受けたら、まあ6割ぐらいは好意的に書いてくれる。2割がまあまあ、どっちでもない。残り2割がちょっと嫌に書いているんですよ。言うことがきついから「(笑)」とか書いてもきついんですよ、文章にすると。
そうすると、その2割の読者には、僕は悪い人にしか見えないですよね。「わかってもらおうとしてまじめに話しているのに、マイナスになるなら、一切やらない」と、ある時決めました。
——徹底されていますね。
「保阪尚希」という一企業なので。これがあるなら全部やめる、といって取材を受けなくなったんです。ただ、情報発信はしないといけない。
そこで、小説を書いたり本や写真集を出したりするなかで、メッセージを込めていきました。僕たちの時代って、ドラマの主演をやると歌も歌わないといけなかったので、やるなら歌詞も自分で書かないとやらないといって、全部書きました。
——遡れば7歳のときから、自分で自分をプロデュースされていたんでしょうか。
そうですね。タレントになろうとしたら、まず現場マネージャーがついて、その上にチーフがいて、まあ社長。小さい事務所ならこういうシステム。自分の売り込みをマネージャーにできなかったら、売れるわけないですよ。会社内で勝てないなら、その外界である芸能界では勝負できないですよ。それは一般企業でも同じことだと思います。
——そうした、芸能界での経験が今に生きているんですね。
でも、いっぽうで、最近は、自分で経験していくことを省略しようとする傾向が強いように見えます。
「シェフになりたいです」と言っても、皿洗いやじゃがいもの皮むきなどをしたがらない。ネットで見たレシピを広げて「知ってますから、料理を作らせろ」という。あるいは、喧嘩をしたこともないのに、格闘ゲームをやっただけで、自分は強い気になっちゃう。
ネットが普及して、いい面もあるけど悪い面もありますよね。Choiceができなくなっている。
我々の頃はファッション誌があって、それを見て原宿のセレクトショップに行って、でも1点ものだから「ない」と言われて「それはそうだよな」と思って(笑)。そこでショップ店員に「どういうのがいいですか」と聞いて、ちょっとずつ覚えていく。でも今の子はクリックするだけだから、組み立てができないし、いい悪いもない。
——正解とゴールが用意されている中でしか生きていけないって感じでしょうか。
答えだけなんですよね、とにかく。だからちょっと嫌なことがあるとやめちゃう。
——保阪さんは五感をフルに使って、まさに体一つで生きてきた。
経験するしかないんで。
——そんななかで、一流の生き方…保阪さんであれば「保阪流」の生き様というのは、オンリーワンのブランディングも含めてやってこられたということでしょうか。
うーん、ただ、モノを作るというのはチームが必要なんです。一人だと筏になってしまうので、どれだけ大きな客船にしていくのか。そのチームの船頭にはならないといけないので、責任はどんどん増えていきますよね。今の子たちって自分に負荷をかけませんが、つねに己に負荷をかけることが大事なんです。
3. 保阪尚希の「保阪流」。内臓からキレイになる「予防医学」とは?
教えてください保阪さん!
——保阪さんは予防医学にも長く取り組んでおられますが、どんなものですか?
基本は朝、食べないです。二十歳ぐらいの頃から、朝は青汁。最近はプロテインも飲んでいますけど。朝起きたときって、老廃物が体にめいっぱい貯まっているということです。発がん性物質も含めて。これを排泄するために午前中を使いなさい、という考えです。人によっては食べることでスイッチが入って出る、という場合もありますが、それだと内臓に負担がかかってきているので、固形物を食べないで排泄できるようにしていきます。あとはサプリメントですね。
——めっちゃ飲まれてますよね。お菓子みたいに。
本当は、栄養は食べ物から摂取できるのがいいんですよ。咀嚼することで脳のスイッチも入るし。でも、そもそも日本にまともな食べ物なんて存在しないというか。そんなこともあって、体の不安要素を出すために、朝はとにかく水分。アメリカでは「純粋なお水か炭酸水を1日最低6リットル飲んでください、と発表しているぐらいですから。
——2リットルでも辛いです…。
だから血がドロドロなわけです。やっぱり排泄不足。出ているけど、毒が出せていない。だから、出し切るようにしています。
——それを、二十歳ぐらいから続けている。
はい。あとはサプリですね。昔は「運び屋」でしたよ。
——運び屋(笑)。
日本にサプリメントなんかなかった頃からアメリカによく行っていたのですが、彼らは食べ物がすごく大事ということをよくわかっているんですよ。そこで「ナオキ、何そんなジャンクフード食べてんだよ」「俺達は朝スムージーだぜ」みたいな感じで。「サプリメント? なにそれクスリ?」「違うよ」という出合いがありました。それで、「これ何?」とひとつずつ聞いて買って、スーツケースをパンパンにして帰ってくるという。ね、運び屋でしょ?
——原宿にお洋服買いに行ったときと通底していますね
一緒一緒。情報がないから、自分の足を運んで。
4. 保阪尚希の「保阪流」。40歳という男の転機

——その予防医学の知識を元に立ち上げたのが『保阪流』ですが、立ち上げの経緯というのは…?
40歳のときなのですが、男は「40歳病」というのが起こるんですよ。
——40歳病…?
男の40歳って「何のために生きているのか」を知らないといけない時なんです。仕事や自分のポジションを含めて。
男の大厄というのもその頃あるわけだし、親が亡くなったりとかね。もしくは自分の体になにか起こるとか。それに向かって男はどうするべきか考えていかないといけないんです。

あと4年…!!
で、僕、その少し前、36歳のときに芸能界をやめたんですよ。やめたというか、やめざるを得なかったというか。
もともとスターダストプロモーションという事務所にいたのですが、そこは、僕が入ったときは社長を含め5人しかいない会社だったんです。でも、僕がやめるときには300人。「もういいでしょ」と社長に言って、やめさせてもらいました。
——僕でも知っている大手事務所さんですね。なぜやめたんですか?
車のレースが好きで、純粋にプロレーサーの社会に行きたいな、と思ったんです。ガキの頃からプライベートチームを持っていて、スポンサーなしでレースをやっていたんですが、年齢的にギリギリだなと感じて、最後に1年間レースに打ち込みたいと。やるからには、プロの人たちに迷惑をかけたくない、追いつくぐらいにならないとダメだと思ったんです。
——潔いし、ストイックなんですね。
最初は追いつかなかったのが、最後のほうは追いつくようになっていくんですよ。
それで、ちょうど40歳になろうとするころ、「離婚もしたし、次は何をしようかな」と思うようになったんです。静岡の片田舎で生まれて、親は死んで、芸能界なんてまったく知り合いもいないなかでここまでやってきて、30代で内臓破裂もして死にそうになって、スキャンダルもいっぱいあったし。でもこのポジションにいるってなんなんだろうと自己分析を始めたんですよ。
そうすると、最終的に自分は「保阪」という媒体として、何か自己発信していかないとダメなんだろう、と思って『保阪流』を立ち上げたんです。
次週(11/12)、不惑を迎えた保阪さんの美学に迫ります!
イラン5千億のガス利権についてもしっかり聞いてきました!
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