美容男子は男をアゲる美ジネスマガジンです。

【ニュー男子】ドーナツの穴的私

 

 

最近の日々は原稿と向き合っている。
ぼくには膨大に思えるボリュームの原稿を書くというミッションがこの10月にありまして、
その未知に、いっけん普通の姿なのですが内側は大荒れで、立て続けに大地震の夢を見た。

これにはどんなか意味があるのだろう、とネットの夢占いページを探ると、
「強いストレス」とか「大きな変化」みたいなことがでてくる。
夢占いとはいうけれど、その答えにはおよそ神秘的なものを感じない。
だって、あまりにもそのまんまじゃないか。そんなの I know!

そんな折、ふと瞑想をしようと思いたち、
ひさびさに腰を据えて瞑想タイムをとりましたところ、
「真我」という言葉と、ブラックホールが光り輝いているようなイメージがわいた。

とても抽象的、感覚的なことなのですが、
その「真我」という言葉とぼくがキャッチしたイメージに感じたのは「人間は仮の姿だ」ということでした。

それは「ぼくがみんなとは違う宇宙人」ってことではなく、
”人間”とは、ひとつのアミューズメントパークのような体験なのかもしれない、ということ。みんな「人間をやりにきている」。
詳しくないので間違っているかもしれないけれど「VR(ヴァーチャル・リアリティ)」みたいなことなのかもしれません。

この人間VR体験の基本スペックは五感。
たとえば映画なら視覚と聴覚のところ、わたしたちのVRは、見れて、聞けて、嗅げて、触れて、味わえるがベーシック。
それに加えシックスセンス的な、五感では「ない」ものを確かに「ある」と感じられるスペックも実は標準装備なのかもしれません。
その第六感と五感を組み合わせながら人は目の前を、今を体験している。
そんなことを思ったのであります。

なんの根拠もないことをつらつらすみませんが、もうすこし続けますと。
その「真我」なるものは、いわゆる「無」みたいなもので、
良いとか悪いとか熱いとか寒いとか、そうした感覚がなく、したがって言葉によるジャッジメントもない。
ドーナツの穴がドーナツをドーナツにしているけれどそこには何もないがごとく、
何もないのだけど、でも、ないのだけど「在る」。
真我を集合意識とすると、その端末が個々の人間で、端末意識が「自我」なのかも。

この秋のぼくは、「原稿書かなきゃやばい!!」と焦りまくっていて、
どうしたらスムーズ書けるだろう、何をしたらいいのだろう、と、
藁をもすがる思いで、友達にタロットカードをひいてもらったり、オラクルブックをひらいたり、とにもかくにもジタバタしていた。

通常の「やばい!」は、そうしたことでおさまっていく私なのですが(それも不思議なことではある)、
今回は、そのような方法にほとんど効果がみられなかった。
もちろんカードなどはおそらく的確で、「外側に答えはない」だとか「幻想を超えよ」といった一貫性のあるメッセージばかりを伝えてくる。
だから、そうすれば、そうあれば乗り越えられるに違いない。
けれど、けれどです。言わせてもらいますが、どうやったら幻想を超えられるの? 超えられたら悩まないから!!

そんなジタバタdaysの末、「真我」のイメージがやってきたわけですが、
絶対的に”ただある”というその感覚こそを自分の根本としてみると何かが変わった。
極めてクールな「目」を自分の本質と感じるだけで、心の波が静まり「万事OKっす」となれたのであります。

あたふたドラマに主演中の私と、喜怒哀楽レスに淡々と観測するサムシンググレイト的私。
ひょっとすると、別次元の2つの視点、意識をあわせもつというアンビバレントな体験が「人間をする」なのかも。

だからなに? と言われたらそれまでなのですが、
凧のように外的状況に大きく揺さぶられる今日に疲れた時は、
凧を操る地上の自分があるのだと仮定してみることで、俯瞰が生まれ、すこしは穏やかになれる気がします。
一瞬で、無料でできるので、ご興味わきましたらトライいただけましたらこれ幸い。

以上、本日もますますトリッキーな雑記にお付き合いくださり誠にありがとうございました。
個展のほうも、ひきつづきよろしくお願いします。今週は17日と20日はいます!
ニュー男子 拝

 

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