実は。などと大げさに書くことでもないのですが、
実はわたくし、この春から月に1回2時間半ノンストップで行われる西洋占星術の講座に通っていまして。
学生時代の塾のように、テキストとノートを広げ、
ときには「じゃあ、野村さん」などと当てられて質問に答えたり、
講座の冒頭に小テストなんかをしたりと学生気分で過ごすその時間は、
驚くほど光速で過ぎる充実感みなぎるありがたい機会なのですが。
西洋占星術にふれ、目下のところ何が良かったかを書いてみますと、
それは「自分という生き物に対する視野が広がり深まる」ということかなと思う。
たとえば、一般に「何座」として語られる星座は、
生まれたときの太陽が位置する場所のそれで、6月初旬生まれのぼくは双子座なわけです。
で、双子座とはどういった星座なのかを私解釈で簡単に綴りますと、
「あるものとあるものをつなぎながらそれらを思考、理解し、
その理解を言葉によって外側に表したい心理傾向の持ち主」ということになるのかな、と思い、まさにぼくそのもの!なわけですが。
さらにその質を深めて考えてみると、その”思考”の主旨としては、
誰かとのコミュニケーションのためにあること以上に、「私が私のために考えたい」というミーミーな理由なのかもと思い至って。
ここらへんのことを詳細に文章にしようとすると、
現状のぼくでは、ひとりよがりかつ、よくわからないものになりそうなので、いつかの機会に譲るとして、
この「私のための思考」という解釈(自分がした)に、なんだかぼくは心が軽くなったということを言いたいのです。
ぼくをよく知る人には「I know!」事項かと思いますが、
残念ながらわたくし、人の話をそれなりに誠実に聞いたり、喋ったりしているつもりながら、
「誰に何を話したか」、「誰にそれを聞いたのか」をなかなかに忘れてしまいがちで。
そんな自分を、残念を通り越してガッカリ、というかごめんなさい……、と、どこか罪悪に感じていたのですが、
双子座の質としてこの「私軸」は、ひょっとすると自然な傾向なのかもしれぬ。
とする視点が生まれたときに、「そうか。だったらそれでいいのかも。しかたがないのかも」となり、
「まあ、気をつけましょう」くらいの捉え方でOKにしよう! となった。
ええ、つまりはたんなる開き直りなのです。
でも、クヨクヨを全身から世界に放ちながら呼吸する生命体より、開き直ることでクヨクヨが晴れ、
多少図々しくとも、「はい、これが私です!」と晴れ晴れとしたエネルギーを放出する方が、
この世への貢献度は高いのではなかろうか、と思うのです。
今日はいつにも増して、よくわからないことを書いてしまっているかもですが、
人である以上もれなく個性があり、人から自分から「それはちょっと」とされる突出した部分こそが個性かもしれず、
そこを「短所」として削ろうとするのではなく、「短所としないおおらかさ」を自分に与え自分がイキイキすることが大事。
自分が自分を「よし!」とすることなくして、誰かや何かを「よし」化することは、ない袖は振れないわけで、不可能。
ならば、自分を責めるエネルギーを「それがあなたよ。それがあなたなのだから。」と自己受容サイドに反転させることに力を注ぐが建設的。
要はそういうことであります。
3回に1回くらい、こういう「私は私でよい」的なことを綴ってしまう引き出しの少なさをすみません!
よほどぼくにとって、それが重要なテーマのようです。
なんなら、そこさえストンと肚に落ちてしまえば、ほかのことはすべて些事なのかもと思うくらいに。
暑い今日に暑苦しいかもなメッセージにお付き合いくださり、誠に誠にありがとうございました!
みなさま、すてきなお盆デーをお過ごしくださいね。
ニュー男子 拝