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【ニュー男子】天才はじめました

 

 

最近、自分の精神状態にとても有効な言葉を思いついたので本日はペンをとりました。
その言葉とは「弱さの天才」「傷つきやすさの天才」でございます。

ニュー男子をときどき読んでいただいてる方はわかるかと思いますが、
ぼくはいい年をして、いまだに思春期みたいなところがあり、
ささいな一言に傷ついたり、ひどいときは何も誰も言っていないのに「そう感じた」としてクヨクヨしたり、
まったくもってネガティブな一面があるのです。

そんな自分の一部を”不要!”と、どうにかその分量を小さくしようと努めてきたのですが、
ふと、それも私。というような感覚がやってきて、
その後に「ぼくは弱さの天才なのだ」と閃いたのであります。

これ、ただの言葉遊びのようですが、
そもそも人は、目の前の現象を言葉によって定義し意味を与え、
その色眼鏡で眺めた現実に自作自演的に一喜一憂しているのだとすると、
言葉遊びとは、とても重要な現実操作法なのではないか、と思うのです。

たとえば、混雑した電車でしかたなしにぶつかった誰かにジロリと見られただけでグサリときてしまうようなときに、
たったの視線ひとつで気持ちが乱れる自分を「不甲斐ない」と、
追い討ちをかけるように口撃してしまうことがあるとしたら。
そんな際に「あ、この弱さがぼくのすごいところなんだよなあ。なんといっても私、弱さの天才なので!」
と心で宣言してみると、自分の弱さがなんだかすばらしいものに感じられてくるのですよね。

そんな風に自分が思う自分の残念な部分に「という天才」をつけていきますと、
自身の性質は1ミリも変わらずとも、そのことに対する捉え方は180度変わってしまうのでございます。

体言止めならぬこの”天才止め”、かなりのことに使えると思います。
「遅刻の天才」「愚かの天才」「だらしなさの天才」等々。

遅刻の天才の誰かがいることで、
関わった人々に「遅刻」なる概念について何かしら考えるきっかけを与えている。

遅刻 is ダメ!! は絶対か? それはいつの時代のどの国、地域でも有効な真理なのか?
自分はなぜその人の遅刻を怒るのか? 怒りは私のどこを刺激しているのか?
彼女の遅刻が悪なのではなく、私の中にある私をしばる「それはダメ!」という枠にこそ私は怒っているのではないか?

そうやって”私の遅刻”が、誰かの自分をより深く知る機会となることはきっとある。

ものは考えようといいますしね。
自分が自分を罰しているその行動や性質、性格も、
地球の裏側的視点で見たらギフトとなるのかもしれません。

以上、自分勝手の天才の私より本日もごにょごにょ言わせていただきました。
最後までお付き合いくださり誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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