先日、え???? ってな留守電があった。
お世話になっている編集部からのそれは、その声や話し方から誰かが想像つかず、
そうした時に限って音声が小さく、誰からの連絡なのかがわからなかった。
メッセージの内容はこう。
「ウチノ(?)です。おうかがいがたいことがあります。お電話ください」
お留守番サービスに3度コールし、慎重に耳を傾けたが、やっぱり声の主はわからず、「おうかがいがたいこと」と聞こえる。
きっと大したことではないんだろう。「うかがたいがたい」はぼくの空耳で、ただ「伺いたいこと」があるのだろう。
もちろん、そのように思った。
だけど、心のザワザワが止まらず、混んだバスに揺られながら不安な気持ちが大きくなっていった。
たとえば「伺い難いこと」だったとしたら、いったいそれはどういうことなのだろう?
ぼくは、その編集部、出版社に対してどんな罪を犯した可能性があるのだろう?
これまでの人生に、社会よりあらためて咎められるようなことをしてきただろうか?
運命のいたずらのような留守番メッセージを聞いてから人生回顧の約1時間。
だした結論は「思い当たる節なし!」
いや、当然のように”人に知られたくないこと”などたくさんしてきたし、
中には、なにかしらのお咎めを受けなくては、なこともあるのだとは思う。
だけど今日、その会社から電話で聞かれて困るようなことはひとつもないと思えた。
結果的には、翌日、声の主と話せ、それはなんでもないと言いたい事務的な内容でホッ。
つくづく、自分を不安にさせるだけの自分の妄想は、いったい誰のためにあるのだろう? とため息をつきたい気持ちになった私です。
けれど、良いこともあった。
それは、それなりに自分は、やましいことがそうなく生きてきたのだなあ、と知れたこと。
そして、これを教訓に、いつどんな問いかけがあってもビクビクしないですむように、自分の生き方に責任をもとう!と思えたこと。
さらに、妄想って本当に妄想なのだなあ、ともしみじみ思った。
けれど今回のことはなかなか馬鹿馬鹿しいが、原理としては日頃のそれとおそらく大差ないに違いない。
ああなったらどうしよう? あの一言はどう思われただろう?
もしもこうなったらば……? あの人のあの目はきっとこういう意味にちがいない!
さも当然のようにさまざまな「たられば」に一憂することに慣れきっていたけれど、
その妄想装置の精度なんてものは、「伺いたい」を「伺い難い」としてしまうほどに、自己都合なのかもしれない。
(”不安な状態に安心”というクレイジーな自己都合)
これまで何十年と使い込まれたそのクレイジー回路を閉じることはもしかしたらできないのかもだけれど、
「伺い難いこと? なにその妄想!」と、その都度笑い飛ばして生きていこうじゃないか!
そんなことを思う本日はこの文章を書きながら、わが家の猫に、
とつぜん短パンは生足におしっこをかけられ驚愕!!!している私は、これからシャワーを浴びて新宿へ出かけてきます。
みなさんも妄想と猫の放尿にはご注意くださいね!
本日も最後までお付き合いくださり誠にありがとうございました。
ニュー男子 拝