都会へ出かけると、さまざな人がそれぞれのファッションをしていて目の娯楽。
とくに原宿あたりに出向いた際は「わたしをみて!」ってな自己顕示欲のあらわれ的それに、
ティーン時代のわが装いの記憶がよみがえり、自然と口元がゆるんでしまう。
ブーツカットと呼ばれる裾広がりのデニムが流行中の当時、「もっと個性を!」という青い衝動に従い、
ブーツカットを通り越しとんでもなく裾の広がったフリマで手に入れた自慢のベルボトムが、
自転車の車輪にからまり破けて泣きそうになったあの午後も、おなじぼくという一回の人生なのだと思うとき、
人間の一生とはなかなかに盛りだくさんだなあ、ってな感慨を覚える今日の私です。
さて、なにを言いたいのかというと、そんなわけでぼくは他人のファッションには寛大だってことです。
って、ぼくに許されようが認められなかかろうがそんなことは知ったことか! ではありましょうが、
ただひとつ、自分と対峙した誰かがそれをしていたら注意してしまいそうな装い表現が、
人といっしょにいるときに耳にヘッドフォン、イヤホンをしているというものでございます。
じっさい耳には音楽など流れていないただの見せかけなのかもしれないとしても、
「あのさ、聞こえてる?」「ねえ、聞いてるの?」と、何度でも責め口調で尋ねてしまいそうな私を時代遅れと呼ぶのでしょうか。
ニュー男子をいくつか読んでいただいた方には容易に想像がつくかもしれませんが、
ぼくは書いて心のモヤモヤを消化する性質をもつ人間でして。
近年は思っていることをだいぶ口にできるようになってきましたが、
若い時期は、親しい友人や家族にも言えない気持ちをうんと抱え、
そのはけ口として、(結果的に)後ろ向きなことだけを綴る”ネガティブ俳句日記”をつけていた時代がある。
あの人のせいでこんな嫌な気持ちになった。
どうして自分だけこのような目にあわなくてはいけないのだろう。
こんな晴れた青空の今日だけど消えてしまいたい。
ノート数冊に及ぶ5・7・5の腐敗臭強めなわが心模様集をときにひらくと、
毎度、瞬時に耳が真っ赤になる恥ずかしさにふるえる。
もしも加齢が感受性を硬化させたのならば、加齢万歳! 心よりそう思う。
ニュー男子 拝