明日から中目黒にて展示がはじまる私ですが、なんと、まだ1枚も案内状を出していないのであります。
それにはいくつも理由があるのですが、その詳細はひとまず、NOWとっても不安。
こうしたことに限らず、物事には「結果がすべて」と「過程が大事」なる非なる発想があるわけですが、
結果が大事説を本当とするならば、その結果のひとつには「たくさんの人に見てもらう」というのがあるのかな、と思う。
そうしたときに、案内状を出せていない状況を”危機的”と感じてしまう自分がいるのです。
が、プロセスがキモという考えにも、もちろん深くうなづけるところはあって。
なぜなら、経験上、それをすると決めた時点からすべては始まっており、
展示期間の数日は全体のほんの一部に過ぎないと思うからです。
今回のことでいえば、いっしょに会をひらくきくちよしみさんとは、
このプロジェクトを開始する以前には3度しか会ったことがありませんで。
そのどれもが、ちょっとした立ち話程度で、トーク総時間は30分くらいだったかもしれない。
その”知り合い”程度だった関係ながら、なぜか彼女のどこかに「野村さん」ってなイメージがふと浮かんだらしく、
1月のいつだったかにネット経由で「3月に私と展示しませんか?」とメッセージが届いた。
そのときのぼくは、どんよりモードから抜け出せず、絵を描くことへの意欲もわかず、
約3ヶ月後に、そんなことをしたい自分なのか見当がつかなかったけれど、
「NO」と拒むことはさらに曇天気分を加速させそうに直感したので、
作り笑顔をするような感覚で「面白そう! YES!」と返事をした。
そこからの時間が濃密だった。
まずは下北沢の喫茶店でミートし、よもやま話をたくさんしたのち、
各自が発表したいものを伝えあい、「じゃあ、そうしましょう」とさらりと概要が決定。
その段階では、よしみさんの友達が飲食の展示(?)で加わるという話しがありイベント色が強い会になる予定だった。
それが2月にフードのチームが参加しない運びとなる、宇宙からのちゃぶ台返し!
その展開にどこかしらガッカリした気分と漠然とした不安めいたものがぼくと彼女の間に生じ、うむ、どうしましょう。
そしてその日を境に、まるで文通のように、私情をしたためたメールをほぼ毎日送り合うこととなった。
「自分はなんでこれがしたいのだろう?」「なにを伝えたくて会をひらくのだっけ?」
「実は今、プライベートでこういう出来事があってこんな感情になっていて」
「ちょうどこちらも似たようなことが起こって悶々していました」
「こんな風に思っていたけど、それはやめてこちらをしてみようと思う」
「こういう天気のときって心もとなくなるのです」
いったい何通送り合ったのだろうこの不思議な往復書簡にて、
じわじわ、じわじわと互いを知り、いつしかぼくの中では「よしみさんと二人展をこの春に行うことは必然なのだ!」などと、勝手に運命を感じてしまうまでになった。
なんなら、もう彼女とのプロセスだけで「おなかいっぱい、ごちそうさまでした!」と言いたいくらいに。
そんな流れが、気分があり、(案内状が完成したのがつい先日ということもあるのだけど)誰にも送っていないという結果不重視的な今日にいたったのであります。
ってな誰に対してかわからない壮大な言い訳を展示前日に綴ってしまうクレイジーな私の、
ストレンジかもしれない絵や言葉たちですが(写真と言葉の冊子をつくったのです)、
すくなくとも2018年の100日ちょっとの日々は、この展示にむけてあったといってもよいくらい、
ぼくの、ぼくたちのエネルギーが注がれた時空間となることはたしか。
中目黒はスペースDまでの道々は、桜のおかげで春感満載です。
この先、よしみさんとまた何かをご一緒することはあるかもだけど、ここでのこの展示は一度きり。
ちょっとでもご興味わいたならば、ぜひいらしてください! 「Hello,」で待ってますー。
以上、本日もお知らせオンリー雑記にお付き合いくださり誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝