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【ニュー男子】スーパーアンビバレンス時代の話



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近年知り合い、ものすごくゆるくメールでのやりとりをつづけている人がいる。 そのペースには特に基準はなく、いってみれば気が向いたときに返事をするので、数週間後の返信というのもよくある。 あちらからもそのようなテンポでメールがあるため、 携帯アドレスに送りあいながらも手紙を出し合うようなアナログ感があり、実に面白いのであります。

そのお相手の彼とは、ぼくの展示を見に来てくれたことで知り合った。 同じ年のゲイということもあってか、たとえば40代に入っての不安な気分や学生時代のセクシュアリティとの向き合い方など、 「わかるー」と言いたい心情を吐露しあっている。

そんなTさんの今回のメールに「野村さんもインタビュー時に緊張したりもするんですね。そういうの全然平気なのかと思ってた」とあり、 考えてみればぼくの歴史を知らない人には、それが得意だからしている。と思われることもあるのか! と、ちいさな鱗が目から落ちた。

ぼくとどのような関係にある方がこれを読んでくれているのかわかりませんが、 こう見えてわたし、もともとは大の引っ込み思案で、人とのコミュニケーションが超苦手男子でありました。 人前がとにかく恥ずかしく、小中学生時代の写真はほぼぜんぶうつむいている。 高校時代は、ひょんな流れから”変わったヤツ”みたいなレッテルが貼られたおかげでけっこうのびのび過ごすことができたものの、 逆にレッテルに応えねばと気張っていた部分もあり、いずれにせよニュートラルとは言いがたいティーンエイジ。

20代に入っても、よく知った人の中ならまだしも、身内以外とのコミュニケーションはやはり苦手で、 ファミレスとかでお店の人を呼ぶのも恥ずかしかったし、バイト先になじむのにもうんと時間がかかったという記憶がある。

そんな(おおげさかもですが)「対人恐怖」が、どこから来たのかと今想像するに、 その根にあるのは「対等さの欠如」だったのかもと思う。

なんといいましょうか、若かりしぼくの世界とは、 つねに優劣がつけられており、心の中ではいつもいそがしくジャッジメントがなされていた。 で、だいたいぼくは自身に「この人よりも劣る」という判定をくだし、日々連戦連敗。 というか、戦う以前に、同じ土俵にのぼることさえ自分に認めていないという不戦敗状態だったかもしれない。 その心は、ぼくが「男のくせに男が好きな変態だから」というもの。

そうして「自分は人より劣る。っていうかみんなとは圧倒的にちがう気持ちが悪い存在」と自分を客観的に(?)捉えることで自己は分裂。 ”キモい”と言われるだろうマイノリティの私と、”キモい!”と見下すマジョリティの私がつくりだされ、 わがスーパーアンビバレンス時代が幕を開けたのでございます。

って、今日は「インタビューする仕事についたことで、その苦手を強制克服させられた。人生って面白い。人って変われる」 ということを書こうと思っていたのに(いま書けたけど)、うっかり青いメモリーにハマりこんでしまった! そして、このテーマ? はまだまだ言葉がでてきそうなので、唐突ですが、 次回へつづく。
ニュー男子 拝

 





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