ぼくの人生が脇道へと逸れはじめたのは大学を中退したあたりからだろうか。
そうして、ほぼ思いつきで写真専門学校へ入学し、
卒業後、写真を仕事にしようとトライもせずニート暮らしを1年近くしたあの頃は、まったく先が見えず毎日焦っていた。
ってな薄暗いメモリーはひとまず。
写真学校時代は毎年2回”合評”という、作品を展示し、
みんなの前でその説明や講師陣との質疑応答をするおそろしい授業があった。
もともと確固たる撮りたい写真や伝えたいメッセージがあったわけではなく、
ふつうの会社にお勤めするのは自分にはムリなのかも、という消去法的発想からその道に進んだ人間にとり、
自分でもわかっていないなにかを人にむけて表現する作業は、雲をつかむようなものだった。
そんな合評にて忘れられない言葉がひとつ。
3年間で一言という、ものすごく高額なお告げをシェアしてみますと、
当時は、暗中模索状態でとにかく毎日写真を撮っており、
それを2週に1回だか先生に見せ、意見をあおぐ学校のシステムに従っていた私。
そうした日々のやりとりを経て、いつの間にやら、
女友だちのからだの部分をモノクロで撮るってな謎のコンセプトの作品制作をする流れとなり、合評でそれを展示した。
数人の先生がああだね、こうだな、などと評してくれ、それらは一切おぼえていないのですが、
当時の校長に「あなたが女性の体になにも感じていないところがおもしろい」と言われ、
雷を落とされたかのような衝撃とともに、ぶわっと冷や汗がでたのでした。
見てみぬふりをし、人々にふれさせないようにしている”not 異性愛”という最大のタブーは、
自分が意図せずとも、作品にはあらわれでてしまうのか。
だとすると写真作家の道とは、自身のタブーを社会にあらわにすることを意味するのだろうか。
当時のぼくは童貞どころかゲイという二文字を自分のための日記に書くことすらできないほどに、
わがセクシュアリティに強固な蓋をしていたため、写真をつづけることをリスキーなのでは、自分にはムリなのでは、と考えるようにもなっていった。
それが、あれから20年近くたち、
なんの因果かセクシュアリティを前面にだし、
こうした文や絵などを人にむけて発表したい人となったのだから人生はわからない。
そして、「作品には、自分の自覚以上のものが放たれてしまう」という校長の教えは、
いましめとして、励みとして、今日もこうして思い出されるのだから、言葉とはすごい。
さて。実はというか、本当は「言葉をすいこみ生きている」というタイトルで、
毎日おなじ人と(カレ)おなじような毎日をおくっている中で、
おなじみの態度のカレにときに違った反応が自分にわくのはなぜだろうか。
それは、誰かとカレの話しをした中での相手の言葉をすいこみ自分の一部化したことで、
自分のカレへの見方が変化したことによるのかも。
人間って、食べるものだけでなく、言葉という情報、ある何かに対しての捉え方も吸収(排出)しているのかもしれない。
ということを書くため、いつかの合評にて展示した、
台所にカメラを設置し30分に1回シャッターを切るというコンセプト一本の、
『T.K in K』(定点観測 in キッチン)を引き合いに出そうとして、写真学校の話をはじめたのでした……。
うっかり、前菜で腹一杯的に前置きがうんと長くなってしまったので、”言葉すいこみ問題”はまたいつか、そのうちに!
以上、本日はスーパー行き当たりばったり&尻すぼみな雑文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ニュー男子 拝