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性欲まみれの神

 

 

”すでに書かれている”という意味の「マクトゥーブ」なる言葉をしったのは、パウロ・コエーリョさんの本によってでした。

人生とは、あらかじめなにかの意思によりデザインされている。
いつかのぼくはそんな解釈をし、ときどき呪文のようなその言葉や意味を思い出しているのですが、
人生がすでに書かれているのだとしたら、誰がそれを書いたのか。
コエーリョさんの雰囲気だと「神」ということになりそうで、異論はないが、
じゃあ、神様とはどのような存在なのか、と考えると、
ぼくの中では厳格で、ピリリとした雰囲気を想像してしまう。

そんな長老的な神が書いたのだから、試練や苦難は当然。
そのような思考回路から、不都合な現実に遭遇した際は見えざる神の声を聞こうとしてきた。
けれど近年、”書いた者”についてあらたな視点をもつようになった。

それは、この人生の筋書きは、ぼくが書いたというもの。
どのぼくかというと、このぼく。

自分勝手なくせに「勝手が過ぎてるかも!」 と時に焦り、
急に周囲の顔色をうかがっては人に気に入られるようにふるまいを変え、
他者目線風のあり方に苦しくなると突如「もうムリ!」と弾け、再びわがままロードに入る。
そんな面倒くさい反復人生のあるじのこの、私。

男が好きな男で、社会情勢に興味が薄く、自問自答が好きで、美食ではなく、いろいろ中途半端曖昧、
スーパー怠けもので、性欲にふりまわされ、お酒にのまれ、夢見がち非現実的思考のこのぼくがぼくの神様として、
野村浩平の人生を「書いている」。

もしかしたら、そういうことなのではなかろうか、人生って。
というご都合主義のニュー視点でこれまでの41年を振り返ると、
「だよね、わかる。すごく自分っぽい!」と納得できるのであります。

たとえば。
もしぼくだったら、ゲイである自分を受け入れず超深刻になったのちにパーンとある日に殻が割れ、
そこからはオープンであることを努めるというシナリオを書きそう。

ぜったいアイドルとかイケメン俳優とかに会いたいししゃべりたいし、
マスコミがどういうところかも知りたいし、
それを経て自分もなにかを表現してみたいとか思いそう。

遅咲きの狂い咲き的に恋やセックスにおぼれたいけど、ひとりの人と家族みたいなものもつくりたいし、
犬を飼おうとしていたくせに野良猫になつかれて猫にまみれるとかウケる! と言いそう。

突飛じゃない家庭に生まれ育つのがそれっぽいし、
じょじょに変化をしていく平凡な日々も経験したいはず。

そんな風に”自分が書いた”目線でわが人生を眺めなおすと、どれもこれもが、さもありなん、なのでありました。

というか、別の捉え方をすると、
そのような仕組みを「思考が現実化する」「引き寄せの法則」と呼ぶのかもしれませんね。

自分が志向するからそれを体験する。
ただ、それだけの話なのかもしれない。

なにはともあれ、そのように「ぜんぶ自分が仕込んだ」と人生を思えれば、
誰かに責任をなすりつけたいともならず、健やかな精神の一助となりそうに感じますがいかがでしょうか。

以上、ノー根拠なたわごとに耳を傾けていただき誠にありがとうございました。
ちなみにパウロ・コエーリョさんの本、おもしろいですよ! 
ニュー男子 拝

 

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