わが家は1月2日に家族で集まり夕飯を食べるのが近年のならわしでして。
びっくりするくらい過去のことを忘れてしまうので超アバウトな記憶ですが、
数年前に仕事をやめてから、父がまるで別人になったように思えます。
ビフォーは、むっつりというか、
なんとなくいつも機嫌が良くなさそうで、
あまり笑うこともなく、基本口数はすくないが、
お酒が入ってくるとじょじょに饒舌になる人、それが父でした。
離職してからの彼は、
あれ、こんな人なんだっけ? というくらいに雰囲気がかるくなり、
お酒を飲みだすと、おしゃべりが止まらない。
話す内容としての定番は、
週に4回ジムで運動をしていること、2週に1回だか料理教室に通っていること、
週に2回くらい映画を見に行くことなど、日々のルーティーンについてなのですが、
その話ぶりというのが、なんといいましょうか小学生みたいなのであります。
じっさいにはそんな言葉は発していないながら、
会話の冒頭にはもれなく「あのね、ぼくね」ってなテンションがあり、
父と飲み食いした友人やカレからは影で「お父さんかわいいね」などと言われる威厳のなさ。
かくいうぼくも、父のことは「顔は似ているけど心はかよわない」という印象しかなかったこれまでが嘘のように、
「はい、はい、焦らなくても聞いてあげるから待ってね」ってなお母さん気分で接する関係になった。
そんな少年と老人が同居する、古希kids父の先日の話は、
いつものルーティーンに加え、2017年に見た映画についてがあり、
話し始めてしばらくするとおもむろに席をたち、自室から手帳を持参し、
鑑賞した75本より、よかった映画ベスト10を発表しはじめたのでありました。
集った面々は、なかなかの時間その発表を聞いていたわけですが、
1本ずつの話しのあまりの長さに集中がとぎれた瞬間、
我に返ったように「え! あと7本もあるの! 長すぎる!」となり、
”父の話しが長い”とテーマが移行し、みなに話す番がまわっていったのであります。
さて今日は、そんな家族のエピソードを書きたいのでは実はなくて。
父とのそうしたコミュニケーションから思ったことについてを綴りたいのですが、
ちょっと話しが長くなりそうなのでそれは次回へもちこすことにして。
ひとまず単純な結論というかまとめとしては、人って変化しているのだなあ、と思う。
「第二の人生」という言葉があるけれど、父はまさに1度死に2回目の人生をスタートしているようにみえる。
そうして変化を遂げると、以前の性質、雰囲気が彼の本性ではなかったのだと知る。
勝手なる想像だけど、父は、
自分の中に在るさまざまなキャラクターから「真面目サラリーマン」を一心に演じていたのかもしれない。
当時の彼は、それ以外に選ぶ余地がそうなく、数十年にわたり全力で没頭し、
めでたく自身が課したそのミッションをまっとうしたのち、
冬眠させていた子供の”ぼく”で遊ぶ時間がようやくやってきたのかもしれない。
いうまでもなく、ぼくが好きにこれまで生きてこられたのは、
父がそのようにきっちりと真面目サラリーマンを続けてくれたからであり、
たいへん遅ればせながらここへきて、父に対する尊敬と感謝ばかりがわいてくる不肖息子の私です……。
ちなみに父のベスト映画の1本はマーティン・スコセッシ監督の「沈黙-サイレンス-」。
くしくもぼくが昨年ただ1本映画館で見た作品でありました。よっ、父子!
ニュー男子 拝