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心配という名のマウンティング



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ぼくは生まれてこのかた「太ってる」と言われたことがただの一度もありません。 そして、これは自慢ではありません。といいつつ自慢でしょ、と捉えた方がもしあったら、 痩せていることを強迫的に求めさせる商売人による洗脳から目覚めることを意図してみたらよいかと思います。

そもそも、痩せている、太っているとはいったいなんなのでしょうか。 個人が、いつかの自分と比べ痩せた、太ったという話ならまだしも、 一般的にどうだ、こうだ、と言われても、その一般とは単なるイメージなわけで、 そのイメージというものには個人差があるわけで、なんというか絵に描いた餅的。

たとえば痩せているをプラス、太っているをマイナスとするならば、そこにはゼロ地点が必要になりますが、 ゼロ地点、基準体型というのも、なんだか絵に描いた餅的だなー、と思ってしまう。 そんなものは時代によって、国や地域によって、年代によって異なる流動的なものだろうし、 仮に身長に対するベストなゼロ地点があるとして、 ゼロ体型だからといって、それがイコール健康ということでも、美しいということでもないだろうに、とも思う。

って、なんか私、怒ってますかね? いや、怒ってはいないんだけど、イラっとくることはあるのですよ、この体型の話で。

ええ、自分が悪いといえば悪いのですが、 ぼくは痩せ型であるに加え、まったく意識的な運動をしないので、おそらく必要最低限的筋肉しかついていませんで。 まあ、いってみればひょろひょろなんですよ。

そんな体型が誰かには珍しいのか「痩せてるね」と言われることはよいとして、 「すごく細いけど、大丈夫?」などと、心配目線で痩せ体型を扱いたい人に遭遇すると、ちょっと面倒臭いのです。

そうした際には「痩せてるけど、別になにも困っていないし大丈夫」といった返事をするわけですが、 その答えでは不足なのか、「でも、前よりさらに痩せてない?」「健康診断とか受けてる?」と、 ひきつづき心配圧力をかけられると、メラメラと苛立ちがわいてくるのであります。

思うこととしてまず、「前より太ってない? 大丈夫?」と太って見える誰かにあなたは言いますか、という話です。 ぼくは今世ではずっと痩せているため太っている人の気持ちはわかりませんが、 痩せていようが太っていようが、体型を心配されることはきっと良い気分がしないんじゃないか、と思う。 なぜならその問いかけには、対等さがないのだもの、上から目線。

上から目線を受け入れる時、人は相手を見上げなくてはならないわけで、 どんなに夜空がきれいだって、見上げつづければ首が痛むが如く、 たとえすばらしい人であってもそこに微塵の対等さもないのならば、 その関係性にはどこかしらの不健康さがあるのかもしれない。

さて今日は、ぼくの好きな本より好きなフレーズを引用して終わりにしてみますね。

【良かれと思ってであっても、心配は哀れな受けとり手のエネルギー場を負の波動で覆う。「あなたを思っています」と記した黒い速達便に、ゴミやカビ、それにいくらか頭蓋骨が入っているのを想像してみるといい。それが、心配だ。】

トーシャ・シルバー著 釘宮律子訳『とんでもなく全開になれば、すべてはうまくいく』「心配しないで、祝福を送ろう」より。

ということで、 心配を手放し、絶対大丈夫!ってな宇宙への信頼をふりまきながら生きていきたいな、と思う私です。 本日も偏ったあれこれにお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 





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