ある日、初めてかもしれないことが起こった。
友人のひとり舞台を観に、日が暮れた神田へ出かけ、
地図をたよりに会場へむかうも人気がない。
おかしい、たしかにここのはずなのに、と、再度チラシを確認すると、
なんのことはない、日付を間違えていたのだった。
これがちょろっと出向ける距離のところであればまた違うのだろうが、
そこまでの所要時間は自宅からだいたい1時間半。
気がついたら「自分ってバカだなあ」と口からこぼれでていた。
しかし、これがスピリチュアル傾倒人間のよいところ。
「これも宇宙のはからいであり嘆くことにあらず」などと自分都合の捉え方を採用するや、
むくむくと楽しい気分へと変化していったのでありました。
そうして、話したかったが電話するきっかけがみつからなかった友人に唐突の連絡をしてみた。
「残念。まさにこれからご飯食べるところ。もっと早く連絡してー」
それから、同じように気にかかっていたけれど無精からご無沙汰中の友へメール。
数時間後の返信には、まだ早い時間だろうに「もう寝ようとしていた」とあり驚き。
さらに、「誰かといるの? というかお誘いの意図はなに?」
誘いの意図を単刀直入に尋ねられたことが新鮮で、とても会いたくなったけれど、
近々ファミレスとかで近況報告をしよう、となり、結局ひとり新宿三丁目の友だちの店へ。
そこでは、かつて近所住まいだった数年ぶりの男子や、
はじめましての若者らと一期一会はゲイバーの集い。
15歳くらい年下だろう男子らは、ぼくの使うオールド携帯に興味津々で、
「逆に攻めてますね」などと言われ、おかしかった。
って、ぽっかりと生まれた都心での自由時間が宇宙の計画というのならば、
では一体あなたはなにを手にしたのですか? と、結論を聞きたいですかね。
そう聞かれると「これ!」ということは残念ながらないのだけど、
自分にがっかりした出来事をチャンスと捉えなおしたことで、
言葉にあらわすことのできない謎の幸福感に包まれたことは確か。
その高揚感は、最寄駅より徒歩40分近い帰路を深夜バスがあったにも関わらずウキウキと歩かせ、
コンビニで必要のないものを物色することにさえよろこびを感じさせ、
満足感いっぱいで床にまで着かせてくれる”揺り籠から墓場まで”状態。
よくよく言われていることですが、
どんなにささやかなことも、それを受けとめる感性さえ錆びつかせなければ、
幸福なんてそこらじゅうに転がりまくっているのかもしれない。
退屈とか窮屈とか不自由さも、やがて消えゆくそのはかなさに着眼すれば、これもまたいとおかし。
そういうことなのでしょう、きっと。
そんな風に思うなんてムリ! と決めればムリが叶い、
だよね、たったのそれだけのこと! と決めれば簡単に自分はチェンジできる。
笑っちゃうくらいに単純な原理のもとに私たちは生きているのかもしれません。
そんなわけで、本日あらためて神田へ向かうわけなのですが、
起こることはすべてチャンスの芽!ってなおめでたさで1日を過ごしてみようと思う私なのでありました。
以上、本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました!
ニュー男子 拝