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ホロスコープ鑑定記6

 

 

先週末、友人から「リマーナすず先生に来週会うことになりました」ってな連絡があったと思ったら、
「実は鑑定をしてもらってきました」という報告メッセージが別の友より昨晩届いた。
このような個人的ぶつぶつ雑記が、誰かのそうしたアクションにつながるなどと想像もしていなかったので、
なんだかとてもうれしい気持ちになっている今日です。

あらためて思うに占われるということは、ある種の覚悟が必要なことかもしれない。
本来わからないはずの未来をわかりたいという禁断の果実に手を伸ばす的そうした欲求とは、弱さではないだろうか。
鑑定依頼メールを送ってからのしばし、ぼくはそんなことを思っていた。

でも、意味などというものは自分で決めて良いものなのだ。
流れ星が幸運を約束してくれるのではなく、幸運の象徴という意味をその人が与えているただそれだけのこと。
占いを受けることがどのような姿勢であるかは、自分が決めることでしかない。

そうして鑑定を受けたい自分にぼくが与えたのは、
ホロスコープとは、この生命のすべてが書かれてあるいわばマイアカシックレコードだろう。
謎は謎のままハラハラと未知を楽しむこともよいけれど、
謎が必要なだけ解かれ、方位磁石のような言葉を手にした上で、
行くことになっている道へ向かうあり方だってよい。

それはズルでもなければ楽でもなく、
こうして、そのことに興味をもつことさえもが織り込まれているのが、きっと人生というものなのだ。
好奇心とは生まれながらに備わった、自分の必要をしらせる精巧なアンテナ。
そのアンテナにかかったのであれば、素直にトライしてみたらいい。
もしも不要な情報であれば、心はピクりともせず、ほどなくして忘れてしまうのだろうから。

迷う自分に迷わぬ自分がそのようなお告げをし、
数週間前の午後、ぼくは電車とバスを乗り継いでそこへ向かったのでありました。

さて今回は、言われてうれしかったことが自分で意外だったフレーズのシェアをひとつ。
それは、「大人の都合が優先され、子ども時代があまりなかったような子どもでしたね」というもの。

子ども時代に限らず、”感じる”という状態は、誰とも本当には共有ができないわけで。
だからして、自分が勝手にそう記憶しているだけの単なる思い込みなのかも。
と、無邪気レスな幼少時代だったとの自覚に永らく懐疑的だったのですが、
実際はわからないけれど少なくともホロスコープにはそのように出ていた。

そのことが「誰にも信じてもらえなかったけどやっぱりツチノコをぼくは見ていたんだ!」みたいな喜びや安堵、さらに深い癒しをもたらしたことに驚いたのでありました。

ホロスコープ鑑定を受け、
なにがどこまで定められているのかはわからないけれど、
星の情報と実人生の符合点があまりにも多いと感じた。
そのことから飛躍し、
この人生は自分がそれを望み、選んだものかもしれない。
だとしたら、つべこべ文句をたれるなんて愚の骨頂。
どうせある程度決まっているのだとしたら、もう受け入れてエンジョイするしかない!
そのような気持ちが深まっているのであります。

変えられないことは受け入れ、変えられることに注力する。
変えられぬことと変えられることの判断材料として、必要とあれば何かの力を借りることを許す。

そんな感じに生きていったらいいのかな、と思う師走のはじまりでございます。

以上、長々綴ってきましたが、これでホロ鑑定記は終了(の予定)です!
最後までお付き合いくださり、誠にありがとうございました。
ニュー男子 拝

 

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