先日、取り組んでいる「スピリチュアル・レッスン」にて、
自分の魂からのメッセージをキャッチする意識で絵を適当に描く、という課題を行った。
すると、実際それが魂の声なのかはわからないけど、
「魂は修行を求めていない、夢中を求めている」と言葉が浮かんだ。
たしかに修行よりも夢中がいいな、とは思うも、
具体的にそれはどういうことなのだろう、とあらたな疑問。
そうして数日を経て、先ほど、あ、こういうことかも、と腑に落ちたのでここに書くことにしました。
話はすこし飛びますが、
この数週間に、早めの大掃除のようなことをしていたところ、
「好きなものか使っているもの以外は捨てる」といういわゆる断捨離の意識に至った。
その標語をもとに身の回りの物をおもいきり処分したところ、わが家はずいぶんとすっきり。
家と心の状態はつながっているとよく言われますが、どうやらそれは本当かもしれません。
環境がクリアになるにつれ、自分の内側もクリアになり、
物質という過去に手に入れたものを今の自分が必要か否かを再検証する要領で、
今後の人生についてのあり方を自然に考えていったのであります。
そして、冒頭の言葉へと戻ります。
修行とは、好きでも得意でもないことを「私は足りない」という意識で人生にとりこむあり方で、
夢中とは、好きで得意なことにフォーカスする人生なのかもしれません。
好きじゃないことや苦手なことを、
それを好きな人や得意な人以上にすべく頑張ることとは、
いってみれば、とても非効率な生き方なのかもしれない。
一生懸命行ったことによる達成感は得られるかもしれないが、
そのプロセスが苦痛であるならば、限られた命の時間を、苦痛に費やしたともいえる。
その道が、たぶん「修行」なのだと思う。
たどり着きたいどこかには、修行的時間が必須ということであれば、
修行は夢中の一環であり、つまりは夢中ロードということ。
なにがいいたいかというと、
幸福という状態があるとしたらそこへの指針としては、
好きか得意なこと、もっといえば好きで得意なことを選ぶことなのかも、ということです。
好きであればやっていること自体が好きなわけだし、
得意なことは人よりも楽に成果を手にすることができ、
どちらにせよ、ストレスというのはあまり感じずにすむ気がします。
そんな思考から、このごろのぼくは
「好き」と「得意」がクロスするなにかを今後の人生の生業にするぞ、と思い至った。
よくよく言われていることを書いていますが、
珍しくも複雑でもないけれど、やっぱりすごく大事なことかも、と本日シェアさせていただきました。
さらに、既存の職業から逆算するのではなく、
好きと得意をあらいだし、それを足したり掛けたりして生まれたなにかが、未来の仕事となる。
そんな創造的意識を使って未来予想図を描くと、人生に希望がみえるのかもしれません。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝