連日、いったいそれはなんだ? ってな話を書いていて恐縮なのですが。
今日も、只今ぼくが取り組んでいるスピリチュアル・レッスンのことからひとつ。
そのレッスンは、自分の内なる声とつながることを目的に、
理性と感情と精神と肉体の浄化を行う4週間のプログラムで。
最初は理性をあらわす「風」がテーマ。
その週は、風、および空気を意識するよう書かれており、
意識的な呼吸を行うことがレッスンとして掲げられる日もあった。
翌週は感情をあらわす「水」がテーマとされ、水に意識をむけよ、との指示。
人間の体のおよそ75%は水でできていて、かつ空気にも水分は含まれているという。
つまりは、自らの内にも外にも「水」は存在している。
そんなのあたりまえじゃん、と思う方はたくさんいそうですが、
水って蛇口からでたり売っていたり流れているものだけではなく、
空気と同じように地球のどこにももれなく存在し、さらには自分自身もずいぶんな割合で水だとは!
恥ずかしながら目から鱗が落ちるような感覚になりました。
だって、それって、たとえば、
ぼくと隣りに眠る猫は離れて存在しているようだけど、その距離の間には水があるのだから、
水視点でみれば、ぼくと猫はくっついたひとつ、ってことになるのかも?
というか猫とぼくはおろか、隣人も世界の裏側の誰かも、みんなみんな、
水を介してつながっている、くっついている、We are ONE となるのでは?
それってなんかワンダフル!!
これを書きながら思い出したのですが、
数年前「ウォーター」という外国のドキュメント映画を見たことがあって。
映画によると、たしか、水にはかかわった人間の思いや感情などの情報をコピーする性質があり、
気化したり海に流れ着くなどして世界中の水はつながっているため、
私の思い、エネルギーなどは、世界に影響を及ぼすのだそう。
(ものすごく曖昧な記憶なのでご興味ある方はぜひ作品鑑賞を!)
ということは、今ここの私の思いや感情は、
タイムラグがあるのかもしれませんが、無意識レベルではやがて世界中で共有されてしまうのかもしれません。
もしもここがそんなONEな世界であるのならば、
自分の在り方というものが、おおきくみれば世界の在り方となるのでしょう。責任重大。
そんなことを思い、ならばいちばん書きたいことを書こうぞ、と、
本日はいつにも増して抽象に始まり抽象に終わる想像雑記となってしましました。
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝