何度も言っていますがスットクレスなニュー男子ゆえ
毎日のように書いていることもあり、
これを書きたい!という衝動めいたものはほとんどなく、どうしよう。
でも、それでも書くということが目下のぼくに与えられたレッスンであり恩恵なのだと捉え、
ありがたがって向き合おうと思うけれど、しらずしらずに焦る気持ちが生まれている本日です。
実は来週からまた展示をしようと計画しています。
でも、今回は案内状などはつくらず、告知もほとんどしていない状態で。
それはなぜかというと、展示場所が家の横の空き家だからということがあります。
ものすごく生活圏、日常の場に人を招くことになるので、
一生懸命アナウンスしてたくさん来てもらいたい、というよりは、
ふと知らせを目にし縁を感じた人がやってくる。みたいなシンクロ感といいましょうか、そのような場づくりをイメージしています。
その空き家は明治40年に建てられたらしい平屋で、大家さんの生家として長らくつかわれ、
近年はほとんど物置にされ、廃墟感がだいぶ強い建物でした。
大家業が親から子へと代替わりされ、
ニュー大家さんがとり壊すことを前提に物の整理を始めたのがたしか1年半くらい前のこと。
しかし、大家と店子(ぼく、カレ、猫)は日をおうごとに親しくなり、
家賃遅延がちなぼくの現状を責められることがないばかりか
根拠も実績もない絵を描くことを軸に生きるぼくのあり方をいつしか応援してくれるようになり、
ある日、「アトリエに絵を重ねておいているんだったら母屋に飾らない?」と言われ、
はい! と即答し、その場から絵の搬入をスタートさせることとなった。
それが機となり、
絵をここに飾りたいからこれをどかそう、
どかしたら埃がすごいからまずは掃除をしよう、
この敷物をはがしてみようか、
ここに照明があったら絵がよく見えるね。
ドミノ倒しのように今日やることが生まれつづけ、
首に手ぬぐいなんかしだし汗だくで、
3人が思い思いの場所を思い思いのタイミングで自分の理想にめがけて手を動かす熱い夏となり、
母屋は壊すのではなく修繕し保つ方向へとシフトしていった。
驚いたこととして、
いつもは、とにかく手を動かし浮きでてくるような感覚の作画プロセスなのですが、
6月の展示中に珍しく「これを描きたい」という明確なイメージがわきあがり、
水彩絵の具で三角屋根の家の絵を描いた。
名前も同時におりてきたその「Light House / 光の家」をきっかけに、7月は水彩画ばかりを描いていた。
そうして水彩画ブームはいったん終息し、母屋修復作業に没頭していたある午後に、
は! と我に返るようにして、この一連の流れの最初にあったのが家の絵だったことを思い出したことがありました。
さて、展示は、来週の22日から27日までやります。
黒澤優子という長年の友人と、「purified / 浄化」と定めたテーマで、
ぼくが絵を、彼女がことばを目下、ピュリファイドしています。
これを読んでピンときた方ありましたら、
詳細は「leeの話」というぼくのブログに書いているのでみてくださいな。
今日はなんだか日記みたいになってしまったので、
もっか感じていることをあらためてコンパクトに言葉で表現してみますと。
やはりこの世界には「流れ」というものがあるのではないかと思います。
そして流れにのると、動く歩道のように同じ力でもスピーディーに物事が運ぶのかもしれません。
流れにのるためには、まず、「流れというものがある」という意識をもち、
今はどんな流れの中にあるのだろう? と潮目を読むような感覚で今に注意を払ってみると良い気がします。
さらに、流れにそうことを意図しながら生きてみると
よりスムーズに現実が運ぶのではないか、とぼくは思うのですが、
真偽のほどは自身でたしかめてみるほかないのがこの世でしょうから、
気になりましたらぜひ人体実験してみてください。
ということで、Lifeサーファーであるところの私たちの本日がすばらしいものでありますように!
最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ニュー男子 拝