今日はいい話を聞いたので教えてあげましょう。はい、上から目線でこんにちは。
いい話を教えてくれたのは行きつけの整体の先生でして、
腰が痛かったいつかに、近場でいいところないかと検索し、
からだは治してもらうのではなくて、自分が治すのですよ。
ってな理念に共感して訪れたのは何年前だろうか。
そんな根っこの感覚が近しかったりする先生とは
治療中はもちろん、治療後も次のお客さんがくるまでお喋りすることもよくあるのですが、
きのうは、前半はぼくの個展のことなんかを話し、後半は先生の近況などを聞いた。
会話って、キャッチボールに例えられることがよくある気がしますが、
プロのキャッチボールみたいなインタビュー場が週に何度も、って時代にはそのことをあまり理解しておらず
すこし落ちついた距離感でインタビューを捉えられるようになった近年、
会話 is キャッチボール。にひどく賛成しています。
話はいろいろとびますが先週、実家に個展の報告ご飯をしに行く予定と
友だちの宿泊がかぶったので、双方のYESをもらい、友だちといっしょに里帰りしたのですが、
そういうことってあまり経験がなかったので、どんな夜になるのか期待と不安のチャレンジ。
結果的には、両親ともにかなり楽しかったのか、
また連れてきてね。なんてメールに書いてくるほどで、
人をつかって親孝行。
という、みうらじゅんさんの「親孝行プレイ」のことを思い出したり。
って、そろそろいい話の話をしないといけませんね。
いい話というのは、悟りと感謝の関係性についてでして、
またその手の話か! と、しらけた方いらしたらしらけてください。
しかたがないんです、その手の話が大好物なんですから。
ええと、整体の先生がなにかの本だか誰かから、
悟りの状態というのは、目に映るものすべてがありがたくてありがたくて、キラキラ輝いてみえる。
というような情報を入手したそうで、
それを聞いた私は、そうか! と腑に落ちた感覚がありました。
それまで悟りというのはどこか無に近いような、めちゃくちゃクールな状態なのかなと想像していて
それって揺れもブレもしなさそうだけど面白くもなさそう、と思っていて。
でも、ぜんぶキラキラした世界が悟りとするなら、
それってものすごくいいっていうか、極楽っぽくない?
そんな悟りだったらぼくだって悟りたいよ、と思った。
そうして、そのキラキラ状態へのルートのひとつとして先生が推測したのが
またどこかから入手した「ありがとう。と100個のことについて書く」って方法。
じっさいやってみた先生曰く、100個ってなかなか難しいけど、100を過ぎたら不思議とさらに出てくるものだね、と。
100の感謝というのは、たとえば、
目が見えることありがとう、ご飯がおいしいことありがとう、立てることありがとう。
とかそうした感じでやったらしく、
そのようにいったん「ほんとありがたいす」眼鏡をかけると、
その後しばらくは、ありがたい目線ですべてを見ることができ、
なにを見ても感謝。となり、すると世界が輝いて見えた、とのこと。
それってさっきの悟りの状態じゃないですか、などと揉み揉まれながらトークを堪能したのでした。
さらにいい話をつづけますと
会話はキャッチボールからの両親が喜んだことによる発見なのですが。
友人のなにが喜ばれたのかを考えると、
彼女の会話がすばらしかったことだろうと思った。
「会話」を分解するとそれは聞くこと、話すこと。
それはとてもシンプルなことだけど、上手にできると、
住めば都のように、どこであってもそこを喜びの時空にできる魔法なのかもしれない。
じゃあ聞き上手、話し上手のコツって? となると、
ぼくだって教えて欲しいですが、もっかの自分なりの理解としては、
ものすごくつまらないことかもだけど、ちゃんと聞くこと、ちゃんと話すことかな、と思う。
ちゃんとっていうのは、「真面目」という意味ではなく、
集中しているというのか、心ここにある状態でいるってことで。
もちろん、深い質問とか軽妙なトークみたいなスキルがあればなお良いのでしょうが、
たとえ知識をたくさんもたなくても、物珍しい経験をしていなくても、言葉たくみに話せなくとも、
ちゃんと聞いている。ちゃんと伝えようとしている。
という在り方でのぞめば、その心根に人の心は動くのかもしれません。
というか、ぼくはそうしたことに感動している気がする。
そんなわけで、帰宅して100のありがとうを書き一瞬キラキラしましたが
寝て起きたら世界はいつもどおり光と影のコントラストの私から
感謝をこめておおくりいたしましたでそうろう。
ニュー男子 拝