美容男子は男をアゲる美ジネスマガジンです。

自分の意見 他人の意見

 

 

ぼくは、ものすごく自己評価が低い、
自己不信感の強い人間だという自覚をもっていまして。
自分が思うことや感じたことなどを
なかなか信じることができないのですね。

どうしてそんな人になったのか、そのルーツを掘り下げてみると
己のセクシャリティに気がついたときに
自らを異質なもの、あってはならないものと思いこみ、
けれど、ゲイであることは変えられないので
自分を生かす手段として
二重人格的に生きてきた影響が大きいのだろうと思います。

ざっくりいいますと
ゲイである自分とは別に、
みんながゲイを「オカマ」と笑うように
自分自身を蔑む自分を構築したという話。

みんなと変わらぬ”ふつう”の自分が自分なのだ、と強固な仮面をつけ、
つねに本心を自分自身が受け入れず、年を重ねたことにより、
自分がどうしたいのか、ではなく、
ふつう(みんな)はどうするのか周囲の顔色を見ながら推測し、
自分のふるまいを決めるという分裂症状が
ディフォルトのようになったのであります。

おそらくはそんな生い立ちにより、
ぼくの中では基本的に、自分の意見 < 他人の意見 であり、
誰かになにかを言われると、
即座に「自分は間違っていたのだ」と落ち込んでしまうのでありました。

その後、ゲイを受け入れることが出発点となり
以後の15年をかけて、じょじょに、じょじょに
自分はどうしたいかを自問し、
それが一般的な意見と違っても
自分の望みを優先させることが増えてきました。

って、
人の意見を聞くことについて書いているつもりが
自分のことばかりをつらつらと!!

長くなってきましたのでここらで無理やりに着地をさせますと。
他人の意見に絶対服従的半生を経てわかったこととして

他人の意見(概念、視点などなど)とは、
それを「あ、そうか。いいね」と感じるなら、
採用、インプットし、新しい”自分の意見”とすればよく
「うーん、なんか嫌」と感じるなら
その生理に従い「貴重なご意見ありがとう」と
意見を伝えてくれたことは受け入れ
意見は「不採用」または「一部採用」すればいいのかな、ということ。

どちらの意見が正しいかではなく、
人それぞれの意見がある、というスタンスだと
楽にいられるのかもしれません。

なんだかものすごーく当たり前のことを書いていますかね。
でも、かつてのぼくは、その当たり前が当たり前じゃなかったのですよ。
そんな人間も世の中にはいる、ってことをお伝えし
本日はおひらきとさせていただけたらと思います。

最後までご清聴ありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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