ある日なにかをはじめたり
ある日なにかをやめたりすることは
たしかにぼくの意思なのでしょうが
はたしてほんとにぼくの意思なのでしょうか?
あのときあれをしたらどうなっていたのか
あのときあれをしなかったらどうなっていたのか
人生とは、朝起きてから寝るまでずっとずっと選択をしているわけですが
選択とは自らがしているのか、
人知を超えたなにかに選ばされているのか。
はたしてわたし、数日前より夢日記をつけはじめまして。
夢日記といっても
いわゆる日記のように
なんといいますか、ただしい文法につらぬかれたテキストではなく
朦朧としたなかで記す走り書きのようなものなので
読み返しても、はて? となることも多々。
でも、それでもいいのだなー、とやってみて思うのです。
夢日記、いや夢筆記のなにがよいかというと
記そうと意思することによって
夢というものに意識がむくこととなり
夢が濃くなり、実体のないその不思議世界を
目覚めたうつつの世界にもちかえってこられる
パーセンテージのようなものが高まるように感じられることにあります。
ようするに、夢をよく覚えていられるということなのですが
そのことの何がいいの? という話ですよね。
いや、正確なことはわかりませんが
夢には、無意識の自分を知るヒントがつまっているように思えるのですよ。
ちなみに。
ぼくの今朝の夢のひとつには
大学の授業にまったく出席せずに終業し
終業して自分がまったく出席していなかったことに気がつき
そのことを周囲の人に心配され、焦り、こわい、どうしよう!ってなる。
というものがありました。
目を覚まし、ああ、夢でよかった、こわかった、と思い、
実は、この夢をこれまでに何度も何度も見ては恐怖を感じていた
定番の悪夢だったと、気がついたのであります。
ぼくは大学を3年で中退しているのですが
3年生の終業時にまさしく夢と同じような状況&気持ちを経験していて。
そんな20年近い前のことを普段はまったく思い出しませんが
この夢により、当時の心情を思い出すこととなり、
自分にとって怖いことが何かに気がつけました。
ぼくはこう見えて(どう見えて?)人と違うということがすごく怖い。
みんなと違う道を進んだことをのちのち悔やむけれど
もう取り返しがつかない! となることがとっても怖いんですよね。
それなのに、みんなのように進級、卒業をせず、大学を中退。
その、ものすごい恐怖と対峙し、恐怖をふりきるようにした当時の選択が、
ぼくの運命の大きな分かれ道だったのだろうと、
今朝しみじみ思い、若かりし自分の勇気に感謝をしました。
夢ってもしかすると、
自分のどこかに押し込められているいつかの感情が
摩訶不思議なストーリーにのって
浮上することのできる時空なのかもしれません。
そうして、
なかったこととなっている感情などに気がつくことは
自分を知ることであり、
己の”負の感情”のようなものを知ることで
自分が統合されていくのかもしれないと思うのです。
以上、つらつらと書かせていただきましたが
ようするに「夢筆記、おもしろいですよ!」という話でございました。
ご清聴ありがとうございました!
ニュー男子 拝