時間の短縮、効率化というのは
ひとつの姿勢、態度であるわけですが
今や、当たり前に重要なことのように人々に浸透している気もします。
すこしでも早く。
すこしでも楽に。
すこしでも無駄を減らす。
そんなスローガンを心に掲げて生きている人も多いのかもしれません。
また、
効率的に時間やお金、エネルギーなどをやりくりすることの意味というのは
それを行う瞬間ではなく、訪れるであろう未来に対しての
備え的側面が大きいのではないかと思ったりします。
明日のために今日やれることをやる!
老後のために今我慢する!
いっぽう、たとえば、
ある日、余命1ヶ月と宣告をされたとしたらどうでしょうか。
ぼーっと日が沈みゆくさまを眺めたいと思ったら、
きっと何をおいてもそれをする気がしませんか?
沈む夕日などゆっくり見ていたら時間がもったいない!
残りすくない時間なんだからほかにやるべきことをやらないと!
などと思わない気がします。
なぜなら、それこそが今したいことなのだから、
したいこと以上にやるべきことなどないでしょう??
それって、限られている命とわかっていればこそ
自分が自分の望みを尊重できるということなのだと思います。
でも、考えてみるまでもなく実は、
余命宣告されていないことと、
平均寿命まで生きられるということはイコールではありませんよね。
というか、
人生というものは、
今日死ぬ可能性が毎日毎日、死ぬまでつづくというものですよね。
ということはつまり、
沈む夕日を眺めたかったら、
実は明日死ぬかもしれないのだから、
この夕日が人生最後の夕日かもしれないのだから、
見ないと! という話。
話は冒頭に戻りますが
時間やお金などなどの短縮や効率化は、
具体的な目標、夢などに必要と自覚して行うとき
それは、今と未来が補完し合う大切な行為になるのかもしれませんね。
本日も、ご清聴ありがとうございました!
ニュー男子 拝