これ、2016年のぼくの社会的(?)スペックです。
いや、モテなさそうですねー。
でも、まあ、いいです。
ひとまずなんとか生き延びましたから。
自分のことを性的には少数派だとは思っているのですが
マイノリティーな生き方をしているとはなかなか自覚できない私。
なにをどうしても他の人にはなれないので
人と自分を”正しく比べる”ことは不可能。
比べられないが故に、自分を少数派との認定は不能。
というようなルートで、
そうした思い込みが払拭できない、と自己分析しているのですが
ただ、このように、
年齢や年収などを書き出してみると
あまり一般的ではないのかもしれませんね。
そんな”自分はふつうか問題”はさておき
いい年をして、稼ぎが少ない、独身。
と聞くと、いわゆる負け組で
不幸な暮らしを想像する方もいるかと思われますが、
それは、ただのイメージなのかもしれません。
じっさい、1年間、そのような身の上でしたが
自分を不幸だ、とはぜんぜん思いませんでしたから。
パートナーと暮らしているということが、
ぼくにとっては不幸を感じさせない重大な要素ではありましたが
時間があった、ということも大きいです。
時間があるということはたとえば、
寝たければいくらでも寝られるし、
いつかやろう、ってなこともお金はそうかけられませんが実行できて。
毎日、起きてから寝るまでほとんどすべての時間を
自分の好きなように使いつづけていると、
自分を不幸だ、などとなかなか思えないものかもしれません。
そればかりではなく、
人が誰かのため、社会のために働くことで
誰かや社会のある種の豊かさが保たれ、
自分もその恩恵を受けていると考えると
日々、感謝の気持ちがわきあがってくるのでありました。
あらためまして、
みなさま、昨年はたいへんお世話になりました!!
そんなありがたい1年の
ほんとうにささいな恩返しとしてここに、
そんな人体実験的日々の成果を最後に報告させていただきますと。
『お金の大小と幸福の大小はイコールではない』
これは、間違いないことだと思います。
いや、ただしくは、
お金の大小と幸福の大小をイコールにすることなく生きることはできる。
ぼくはそう思います。
ってなものすごくありふれたことを偉そうに、失礼いたしました!
ニュー男子 拝