人生について真面目に考えるというか思いを馳せたくなるのは
ピンチ的な、ああどうしよう的な時だったりするのだろうか。
それとも、なんて幸運! ハピネスありがとう! みたいな瞬間か。
今朝は、この夏とつぜん知り合うこととなった中国人のカンピンさんに
300円で鶏鍋が食べられますよ、いきませんか?
と、とつじょ誘われた謎の(失礼!)催しに参加すべく
目覚ましを8時にかけ、
なにも食べたくない、眠い、と身体の声を感じながら出かけたところ自転車がパンクした。
会場である市民センターはとても微妙な場所にあり
歩くには遠く、バスは乗り換えが必要で、そもそも半端な場所でパンクが判明したもので、
開始20分前にキャンセルし、罪悪感。
曇天または雨つづきのこの秋は、
パソコンをバージョンアップしたら動作が信じられないくらい遅くなり
この金銭状態の今に買い替えをしないといけないのか、と、ためいきな朝があったり。
これから帰るね、と報告があった恋人・Mがいっこうに戻らないと思ったら
都心は甲州街道で車がヒートアップして修理に出す運びになった夜があったり。
日々のそれはもうささやかな娯楽であるテレビが、
11時になったらあの番組を見よう
とスタンバイしていた矢先に画面が真っ暗になり音声しか届けなくなる晩があるなど、
とにもかくにも、いろいろと不具合。
強制チェンジを宇宙から求められていると感じるこの秋に、
人生とはなんなのだろう? と、ぼくは問いかけてしまうのです。
すべてとはいえないけれど、
お金が潤沢にあれば今日のぼくの事態のどれもこれもが
たやすく解決できるのだと考えると、
ぼくは人生について思いを馳せたくなるのです。
いや、馳せました。
ぼくもかつては、
あたりまえに、まずはお金。まずはお金を稼ぐべく働くこと。
という思想のようなものを、信じる必要もなく信じることができていたのですが
いつからか、お金を最優先に、まずお金を確保することを第一に
人生を考えることがどうしてもできなくなってしまいました。
そうして、
自分はどのように生きたいのかという自問を毎日のようにするようになり
おそらくたいへん愚かなのだと思いますが、
安定的にあった記者の仕事を手放し
なんの実績もスキルもなくただ描いているだけの絵を描くことを
これからの人生の中心にすえよう、と生き方をチェンジしてしまったのです。
それで、それから、どうなった?
たとえばこれがドラマや物語なら、
その後の話をすぐに知ることができるんですけどね。
なんと、これは実話というか、ぼくのまさに「ナウ!」なので、
はたしてその後はどうなることやら。
まあ、でも、ひとまず宇宙が許すまで生き続けるのだと思います。
どんな果てが待っているのか想像もつきませんが
それがどうしたものであれ、生きられるうちは生きるぞと思う。
って、なんの教訓もお伝えできませんが、
ドキュメンタリー映画をながめる気分で
ひきつづき、当コラムを読んでいただけましたらうれしいです! というお願いでございました。
ご清聴ありがとうございました!
ニュー男子 拝