今日は、ただの思い出ばなしを書こうと思います。
それはいつのことだったか記憶が定かじゃないのですが、
そしてそれは調べればわかるのですが、
調べないからこその思い出ばなしかなとも思うので、そのまま進めてみます。
以前、牛の病気が流行した時に吉野家が牛丼の販売をやめた時期がありました。
そして、もう安全だ、ということになり牛丼が再開されたある日。
待ちわびた吉牛ファンが行列すると予想されたお店へ朝から取材へ行きました。
(その店舗が取材対応として指定されていたのだと思う)
そこには、朝早いにもかかわらず長蛇の列とそれを取材するマスコミの大群。
その行列の先頭に並んでいた女子が多数の媒体からインタビューを受けていて
ぼくもその輪に加わり彼女の話をメモなどをした。
記事を書く段になり、
ぼくはふと、ただ牛丼が食べたかっただけなのにマスコミに囲まれた
彼女の気持ちを代弁するような切り口で原稿を書くことにした。
担当編集者も「面白いじゃん」と言ってくれそれはそのまま記事となり発売された。
発売から1週間くらい経った後だろうか、編集部に手紙が届いた。
差し出し主は、牛丼騒動で瞬間的大脚光を浴びた彼女その人だった。
そこには、わたしの気持ちを書いてくれてありがとうございました。
というようなことが、たしか書かれていた。
日頃、自分が書いた記事は誰にどのように受け止められているのだろうという漠然とした不安や、
もしかすると誰にも届いていないのではないかというむなしさのようなものを時に感じていたので
その手紙、その言葉は本当にうれしく、何度も読み返したのでした。
それ以降、これは誰かがどこかで読んでくれているのだ。
ということを信じて記事を書けるようになった。
その出来事を思い出すとき、
言葉というものはとても偉大だなあとぼくは感動してしまうのです。
たったの一言で、誰かの人生を左右してしまう力が宿っているのが言葉。
人をどん底に落とすことも天に昇らせることもできるそれは
人が人にかけることができるものすごい魔法なのではないかと思う。
ただの思い出ばなしから無理やりに提案をしてみますが
言霊という言い方が古くから伝わりますように
言葉にはすばらしい力があるのだと悟り、
大切に扱うことを意識して暮らしてみるのはいかがでしょう?
そしてこれは言葉に限ったことではありませんが、
自分がそれを信じた分だけ、それは本当になる。
とも思うので、それもあわせて意識してみたら世界が変わっていくのかもしれません。
最後までお読みいただきありがとうございました。