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いいね。されない自分

 

 

いいね。というのは、現代日本のとても象徴的な言葉なのではないかと思う。
それは、共感ということをあらわすワードでありましょうか。

とくに、SNSと呼ばれる
フェイスブックやインスタグラムやツイッターなどには軒並み
それぞれ呼び方のようなものは違えど「いいね」という態度を示す機能があり
ぼくは、各場所になにがしかを投稿した後には
人からの「いいね」という反応をとても気にしてしまうのであります。

そこで「いいね」を気にしないようにするにはどうしたらいいのだろうか。
と、考えてみてひとつ浮かんだことは
なににどれくらいいいねがついたかということが気にならないくらいの頻度で投稿する。というのがある。
1日に何投稿もしていたら、個別につく「いいね」をいちいち気にならなくてすむ気がするのではないか、と思うのです。
ただ、気にしないためにすることというのは、気にしているということだとも思うわけで、
実になんだかなあというアイディアゆえ実践はしていないのですが……。

そんなわけで、この問題(問題と思うから問題なのですが)の解決策はまだ見当たらないわけですが
それとは角度が違う気づきのようなものがあったのでここに書きたいと思います。

いいね。を気になるのは、百歩譲って仕方がないとします。
が、すべてを「いいね」なる他者の評価にのっとられてはいけない。
もしくは、他人からどう見られてもいい、どう思われたって好き! というような
マイノリティーな、少数派の、変態的、非常識な自分というものを大切に保護しなくてはいけないのではないかと思うのです。

いついかなるときも「人にどう思われてもかまわない」と生きることは、
おそらく多くの人(ミー・トゥーです)にとってとてもハードルの高い姿勢じゃないかと想像するのですが
だからといって、「自分にその生き方は無理」としてしまい、
すべて「いいね」ベースにしなくてもいいのではないでしょうか。という話。

具体的にあらわしますと、
たとえば5回に1度はひとりの共感も得られないかもしれない自分を投稿してみる、など。

誰にだって、ひとつやふたつは、
自分のこれは世間的にアウトだろうなあ、ってな部分はあると思うのです。
そうした自分を覆い隠すことに必死になる防衛意識のようなものも必要とは思いますが
そうしたアウト的なものこそが実は個性であり魅力というものかもしれませんよね。

そんな視点で、
いいね。されない自分、というものを意識しつつ
SNSをはじめ、仕事の場での態度や発言などにじょじょにあらわしてみると
あんがい覆い隠すよりも生きやすくなるのではないかと思うのですがいかがでしょうか?

 

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