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ヒエラルキー わたしは怖い ヒエラルキー



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とある宗教の人が、宗教への勧誘的配布物をもって家に訪ねてきた。 曇天の木曜の午後に、家にいるほうもいるほうだけど、 そうしたことをすべく、平日の午後に家々を訪ね歩いているほうも歩いているほうだ。

玄関にて「まだ絵を描いているんですか? すごいですね」と言われて驚き。 いつかのぼくは、某宗教団体所属のその女性に、 「わたし絵を描いているんですよ」なんて話をしたのだろうか。 それとも玄関先におかれている絵を見てそう思い込んだのだろうか。 ともあれ、平日昼間に家々をまわり、 1000にひとつの可能性くらいだろう布教活動にいそしむあなたこそすごいですよ! と思いつつ、「いえいえ」ってな、なんの答えにもなっていないような返事をした私です。

ぼくは、よく「宗教っぽ~い」というようなことを ボサボサ気味の髪&ヒゲなどの見た目や、 スピリチュアル的発言とかから言われてきたし、 自分でも、どこかの信者みたいなことを言っているな、という自覚はあるのだけど、 特定の宗教には属していません。 属してみたい、と思ったことももしかしたら一度もないかもしれない。

それは、宗教を信じていない、ということとは違って、 属する、ということに抵抗感があるからかもしれない。 (あれもこれも知りたい。という浮気性的性分も特定の宗教を求めない理由にはある)

実際は違うのかもしれないけれど、そうした団体のような場には ヒエラルキーが存在していそうで、そのピラミッドに属することを考えると、 どこかに所属できる安心もいらない、と思ってしまうのだ。

ヒエラルキーのあるところに入り込むと、 自分の中にある競争心のようなものが刺激され、 ニコニコ平等ですね、という顔をしながらも、 抜かれやしないか、抜けないだろうか、 などと心のどこかが波立ち、おだやかにいられない自分が想像できるのだ。

競争も悪くない。競争が成長につながる、ということはあると思う。 でも、競争意識が根付いた日々は、 つねに、周りを気にしていなくてはならず、 つねに、自分と誰かを比べ、値踏みしつづけなくてはならず、 ぼくにはそれをする気力も体力もないのです。 ぼくにはむいていない、と思うのです。

その、人生観というのか、もしくは性格なのかが、 競争社会からの逃避をはからせ、 結果として、このような無職的立場にぼくを運ばせたのかもしれない。

なにが言いたい、ということはないのだけど、 自分の中にある、そういう概念というか思いの力が、 その人の人生航路の舵取りをしているということはあるかもしれませんね、という話です。

自分の今日に満足している人は、もちろんそのままでよいのでしょうが、 もしも、満たされない思いを抱えて生きている人がいらしたら 自分はそもそも何を信じているのか、 「LIFE とは 何?」と自問し、浮かび上がる言葉やイメージなんかを 真摯にキャッチしてみたらいいのではないかな、と思うのです。

たとえば「人生って苦労の連続だ」「人生とは苦労することだ」。 との答えが浮かびあがってきたとしたら、 それが、万人の「人生とは?」の正解、真実と断定できるものなのだろうか。 と、さらに自問をしていくことがぼくは好きです。

そんな風に、いろいろ考えたものの、ぼくには人生が何かなんてことはわかりません。 そもそも、この世界にたったひとつの正解があるのか、ぼくにはよくわかりません。 でも、自分にとっての正解(という思い込み)は存在すると思いますし、 その答えが、不都合な現実をつくるのだとしたら、 別の答えに変えてみる、という実験をしてみたい、とぼくは思うのですよ。

 





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