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【ニュー男子】そしてカミングアウト時代

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そもそも「ニュー男子」にて、なんでこうしてわがセクシュアリティもろもろについて綴っているのかというと、 それがぼくのこの人生に用意されたひとつのテーマかな、と思うからです。

もちろんこんな風に人前で、不特定多数の人に向けこのようなことを発表する必要などはまったくなく、 「美容男子」からもそんなことを求められていないのにも関わらず、いわば自発的にカミングアウトする理由としては、 前回書いた「女性自身」でのLGBT企画で、若き悩めるゲイたちにたくさんあったからというのが大きい。

その企画には、石川大我さんという現在区議会議員の方が当時はその立場になかったため、監修者として参加してくれ、 彼がおこしたゲイのためのコミュニティにて、若者たちにアンケートをとらせてもらうこととなった。

カミングアウトの有無や、ゲイであることの不自由さなどについての質問に、 当時大学生だったある男子が「モデルケースとなる人がおらず将来が不安」と綴っており、 ”モデルケース”を探すという意識が欠落していた自分は衝撃を受け、その言葉、発想が頭にこびりついてしまった。

そうして、家族や友人、仕事仲間など、自分を取り巻く人間関係において、 かなりのパーセンテージの人にゲイであることを告げたうえで関係が継続しているぼくのような人間は、 まだ、そのような環境を想像もできないような同時代メイトの一員として、 「ゲイをオープンに生きる」というパートを担ったらいいのでは? と思うようになった。

人はみな、それぞれの人生、世界を歩んでおり、なにが良いとか正しいなどということはたぶんまったくなく、 カミングアウトなどしなくてもいいし、ゲイを受け入れずにノンケとして生きることもそれはそれでよいのでしょう。 けれど、もしも自分の性的指向をあかして生きたいけれど怖い、という人がいるならば、 「テレビに出ているような強烈に個性を表現できる人でなくともそれは可能」ということのいちサンプルとして、 この人生があってもいいのかも、と考えるようになり、今日にいたった私です。

カミングアウトのリスクについて思うこととして、 たとえば、ぼくがゲイであることに嫌悪や恐怖を感じ、その感情エネルギーのはけ口として攻撃してくる人がいたとしたら、 その人のそばから離れて生きればいいか、と考えていて。

現実味の薄い単純なアイディアかもで恥ずかしいのですが、でも、利害レスな人であればもちろん、 たとえその人がお金やら人脈やら肩書きやらの社会的ステータスめいたものを存分にもっており、その恩恵にあずかってきたとしても、 直接的に迷惑をかけていないであろう他人の性的指向を拒否する価値観の人とつるんでも、あんまり面白い事はなさそうだなー、って思うのですよ。 だって、他人が誰を好きになろうがそんなことほんとにどうでもいいじゃないですか。 少なくともそれが「同性か異性か」なんてお好きにどうぞ、という話。

と、40代に入った現在のぼくは思うのですが、このような意識になってから実はたいした年月はたっていませんで。 あらためて、ゲイ未満の10代、友達にだけオープンな20代、家族に伝え始めた30代、と振り返ると、 その時代の自分の価値観、感性、思考、環境でしか味わえなかったすばらしい瞬間がたくさんあったので、 どのようなあり方も、そこにはもれなく光と影があるという意味において「万事OK」 なのだなあ、と思うのでありました。

そんなわけで、今日にしかない今日の私で、春の雨をたのしむ午後にします! みなさんも、すてきな午後になさってくだされ。 以上、本日も偏りまくったぶつぶつにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ニュー男子 拝

 

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