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男と男の恋愛事情

 

 

本日より彼が出張に出かけ、その流れで中部地方の実家へ帰省するというので、 久しぶりのしばし一人暮らしがはじまったわけですが、彼を送り出したあとというのは、いつも一瞬ワクワクする。

えー、なにしよう、なにしちゃう? そんな気分になるわけですが、これまでの傾向を振り返ると、 このテンションはそう続かず、日暮れが近づく頃には心もとなさが優位となってしまう。

40歳を過ぎたヒゲ面の男がこんなことを言うのは気持ちが悪いかもしれませんが、 ひとりでいる、ってことが好きなんだけど苦手でもありましてね。 誰かがそこにいることがわかっていてこそ、安心して孤独に浸れるという部分がぼくにはあるのかもしれません。

先日の彼とのなれそめ記事が、 ほんのわずかながら身近な人より「面白かったよ」と珍しく反応があったため、 だったら、もっとそうしたことを書こう! となった単純なわたしですが、 人の期待めいたものに応えようとすると、筆が止まるのは定番で。 反応のためのアウトプットとは、自分からあらわれるものに制限をかけることでもあり、 書きながらも人の目を気にしている、ということでもあるのかもしれません。

でも、やっぱり、おもしろいはうれしいので、このまま彼とのことを書いてみますと、 「ゲイです」ってなことを告げると、どっちが男役(タチ)でどっちが女役(ウケ)か、などということを、 一足飛びに尋ねたい人にも、ほんの時々出会うのですが、 ぼくにとってそれをくっきり、きっぱり言葉にすることはなかなかにむつかしい。

というか、それがセックスに関することを指すのであれば、 たとえばぼくとセックスしたい人が、真剣にその答えを求めるのならまだしも、 たんなる興味本位であれば、そうした超私的な質問に答える必要はあるのだろうか、と思ってしまう。

精神的な意味でのセクシュアリティ(?)ということでいうと、それはケースバイケース。 親子であっても、息子が母のことをわが子のようになぐさめ、励ますこともあるでしょうし、 ビジネスライク一本の間柄でなければ、どのような人間関係にも、 時と場合により表出するキャラクターのようなものは変化するのが自然なのではなかろうか。

ってな長文の返答などほとんどの人は求めていないことにようやく近年気がつき始め、 あみだした短文が「ぼくと彼の関係は恋人であり母子のようでもある」というものであります。

直近のことでいうと「ひざ下がカサカサ痒くて、かきむしっちゃうんだよね」と昨夜告げたら、 今朝、出がけに「これ、寝る前にちょっとだけ塗ってみたら」と塗り薬を差し出してきた彼は母のよう。 そして、駅まで車を運転し「はい、いってらっしゃいね」などと、今度はぼくがお母さん気分での送り出し。

そんな風に万華鏡のように瞬間、瞬間に「個と個=私たち」は形を変え続けているのかな、などと思います。 もちろん、定番の形や傾向性みたいなものはあり、それがそれぞれのカップルの形とも言えるのでしょうが、 だとしたら、ぼくはあまりその形にこだわりがなく、むしろ固定化させたくないのかもしれない。

大方の人に”男は泣いてはならぬ”的な性別による型がDNAなのか教育なのかで植えつけられている気がしますが、 せっかくゲイという第三の性別に生まれた人生なのだから、 「オレは男だけど男に欲情するんじゃけん!どんだけ~」(奇妙な例題ですみません…) みたいなアバンギャルド?型破り?的な自分であることを許したい。

とくにカップルなんてものは、いってみれば治外法権的関係場とぼくは考えているので、 極オスから極メスまで、自分がもつさまざまなキャラクターを余すことなく表現できるユートピアとしたい。

といっても案外と突飛な自分はあらわれない私ですが(自制心もある)、 「どんな自分も出せる相手」と思うことで、彼という存在がますますありがたく感じられ、 関係維持に今日もエネルギーを注ごう、となっている気がします。

なにを書いているんだかわからなくなってきましたが、ようするに、 人付き合い、恋人付き合いに求めるものやそのあり方は千差万別! というなんとも平凡な着地にて本日はおひらきとさせていただきますね。 最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
ニュー男子 拝

 

モテたい?

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