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断捨離ウィンター

 

 

先日、そういうことを久々にした、と思ったことがあった。 それはファミレスでのおしゃべり。 マンツーマンで4時間くらいした。

その友人とは長い付き合いといえば長いのだけど、 初めての出会いは20代の半ばながら、 その後の15年くらいはほとんど会うことも、連絡をとりあうこともなく、いわば他人同士のように過ぎた。 この先も一生会うことなどなさそうな彼のことは、 とあるステージで演奏している姿を見たことはあったが、 じつはあの人と昔お茶したことがあるんだよ。ってな感じで、ふたたび連絡をとろうとも思わなかった。

それがある日、彼からフェイスブックに友だち申請のメッセージが届いた。 そこには「あの、もしかして僕と会ったことがありますか? なかったらすみません!」 というような記憶喪失めいた文言があり、ちょっと笑った。

「はい。会ったことがありますよ、15年くらい前に何度か」 そのような返信から、再会してみよう、と話がすすんだ。

いつかのその人と何を話したのかまるで覚えていないが、 時を経たわれわれには、同じ人の主催する瞑想のワークショップに別の機会に参加したという共通点があり、 ブランクタイムがあったからこその今だね、とニッチなその傾向性が2人の会話を弾ませた。

4時間のファミレスの後、友人がひらく忘年会にそろって参加する運びとなり、 けっきょくその日は遅めのランチから夜おそくまで遊んだのでありました。

それにしても、人との縁ってほんとうに不思議だなあ、と思う。 まさか彼とそのような時間をすごす日がやってくるなんて、みじんも想像したことがなかったのだもの。 だけどそんな現実がつくられ、はや数回。 近いうちにまたミート&トークしましょ、と未来の約束さえある。

この秋冬、スピリチュアル・レッスンというものにとりくみ、たくさんの物を捨て、 捨てるほどに、自分がいかに過去の価値観にしばられていたかに気がついていった。 物の断捨離がひと区切りつくと、今度は人間関係のしがらみも手放したいと思うようになっていた。

「人を捨てる」などと思うと、とても尊大な姿勢に感じてしまうが、 自分を束縛する人間関係を意識の中からリリースすることは、べつに失礼なことではないのかもしれない。

”関係”と表すのだから、それは誰かがあって成り立つ発想、状態。 だとすると、もしも片方がその関係性に不自由や不満などを感じているのなら、 相手にしてみてもそのつながりは、モヤモヤとしたエネルギーの回路なのかもしれないし。

ってな後付けな理屈はひとまず、 今の自分、未来にありたい自分にふさわしい人間関係のいしずえを築こうと、 顔も浮かばない誰かの名刺、自発的に行くことがないだろう店の番号、 今日の自分には響かない保護メール、過去の数千の業務メールなどなどをディレイト。

そうしてさまざまな関係を精査していく中で、 仕事をはじめてから15年あまりのぼくの意識の方向性は、 「よりたくさんの人とつながる」という拡大路線一本だったと気がついた。

その路線も悪くはないけれど、この肉体での残り時間を想像するとき、 閉鎖的にならずとも、拡大を絶対善とする価値観は手放そう。 さらに、これまでの関係への執着心もリリースしてしまおう、となった。

「来るもの拒まず去る者追わず」と聞くとちょっと冷たく感じてきたけれど、 もしかするとそれは宇宙を信頼し、縁を大切にする中庸的な姿勢なのかもしれない。

さてニューイヤーを迎えるにあたり、自分がお世話になっている空間の大掃除にくわえ、 パソコンやらスマホにひろがるバーチャル(?)スペースの掃除をしてみることも、 現代人にはその時期にふさわしい行事なのかもしれませんね。

できたブランクスペースに、抱負という名の種をうめようじゃないか、と、 先走る自分をいさめ、今日もなにかしらのクリアリングの午後にしよう、と思う私であります。

以上、本日もお付き合いいただき誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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