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【APECの舞台】ベトナム旅行がオトナの修学旅行にピッタリなワケ【アクティビティ編】

先日、首都ハノイでAPECが開かれたベトナム。いっぽうで、なぜか日本の九州地方ではベトナムを修学旅行先にする高校が増えているそうです。ということで美容男子編集部が勝手にその魅力をお届けするレポート(ちなみに今がわりとベストシーズン!)。続いてはアクティビティ編。ホーチミン・シティ内から行ける、見れる、遊べる、学べる基本を抑えました。そしてそのために、ベトナムの歴史も頑張って書きました。読むだけで、かしこになれ…る…かも(バタリ)。

【APECの舞台】ベトナム旅行がオトナの修学旅行にピッタリなワケ【アクティビティ編】

1. ベトナム旅行アクティビティ「メコン川クルーズ」でリアルジャングルクルーズ

ホーチミンからのショートトリップとしてド定番のこちら。
市内からバスで2時間ほど揺られたあとに、大型ボートでメコン川を渡り、中洲にある島を見学するツアーです。
たぶん自力で行こうとするより、オプショナルツアーで申込んだほうが早いでしょう。
最近は移動車内でもWi-Fiが使えるし!

当店愛用のこちらのサイトでは、結構ギリギリでも予約できたりします。

https://www.veltra.com/jp/

さて、ではレッツラゴー。
(今回参加したツアーでは、途中で寺院に寄りましたが今回そこは割愛します。それはそれで面白かったけど)

 

大型ボートはこんな感じ

 

ボートでの移動は15分ぐらい。そこから島に上陸し、素朴な生活をガイドさんが案内してくれます。
いかん、この調子だと長くなりそうなので簡潔に。

ガイドさんは、ジャックフルーツをはじめ、ココナツからマンゴーまであらゆる果樹の「何色が美味しいか」を力説してくれました。それはもう、果物屋御一行だったっけというぐらい。
いかん(以下略

申し込むツアー会社にもよると思いますが、だいたいここでは手作りココナツキャンディの製造工場(超家内制手工業)を見せてもらったり、天然のはちみつの試食をしたり、バナナの焼酎を試飲したりします。
地元の生活にからめて特産物を紹介、よかったら買ってね❤というシステムです。
ちなみに11月半ばのこのとき、気温30度超え。超あついけど、ベトナムで生水を飲むのは危険なので、当然氷もいけません。
勢い、はちみつ試食用の紅茶なども全部ホットでの提供になります。
冷え性が治りそう…(なので、ミネラルウォーターをお忘れなく!)

養蜂場見学

 

↑養蜂家のところでは、お姉さんが蜂を見せてくれます。なんなら触れます。怖かったけどせっかくなので触りました。「ふうん」と思いました(失礼)。

ニシキヘビと私 in ベトナム

 

↑そしてなぜか、観光客向けにニシキヘビを持ってきてくれます。
そして希望者は首にかけて写真が撮れます。うちは死んだじいちゃんが20年以上前にどこぞの国でこれをやってきて、誇らしげに写真を見せられました。子供心に「うわあ」と思ったので、亡きじいちゃんを思ってやってみました。男性諸君、ここは勇気の見せ所です。ちなみに15㌔。

 

↑あんまり暑いので、自然とみんなベトナムといえばの「あの笠」を欲します。私も欲しました。
そしておあつらえ向きに、メインストリートと思われる通りに軒を連ねる土産物屋で売っています。
バカな買い物だとお思いでしょうか。しかし1つ3万ドン、150円で暑さをしのげるなら安いものです。
首まで隠れて超べんり!!!!!!! 日本でも流行ればいいのに。

そんなこんなで、旅のハイライトはジャングルクルーズです。細い運河を、手漕ぎボートで進んでいきます。

およそ7時間のジャングルクルーズ

 

気づけば動画ばっかりだったので、この写真でお察しください。
観光客まみれではありますが、ベトナムの原風景に出会えるツアーということでおすすめです。
だいたい朝8時に出発して、15時ぐらいに戻ってきます。

ランチはコチラ!

 

ランチはここらでしかとれないという名物・エレファントイヤーフィッシュ。
川魚ですが案外臭くありません。とても淡白なお味。むしってライスペーパーで巻いて食べました。怒っている。

 

2. あなどれない水上人形劇

まず、人形がキャッチーすぎる

 

続いては、ベトナムの伝統芸能に触れてみましょう。
水上人形劇はもともとハノイが発祥ですが、最近ではここホーチミン・シティでも上映しています。

神話や伝説、そして人々の暮らしを人形たちが演じます。
「ふぅん」と鼻をほじったあなた……。実は私もそうでした。しかし、なかなかどうしてあなどれません。
保存が悪くてアレですが、上の写真のこの真ん中のおじさん、ハゲにツインテールです。
どうしてこんなことになったのかまったくわかりませんが、出てきた瞬間、ハートを撃ち抜かれました。

 

■動きもキャッチーすぎる

 

私の動画がヘタなので、他力本願。

 

これは本場・ハノイで上演されたもののようですが、私が見たものとほぼ同じです。
水上人形劇は40分ぐらいの間に、短いストーリーが次々と演じられ、私が見たものでも16もの演目があったのですが、これはそのうちのひとつ「仙女の舞」。

小林●子を彷彿とさせる仙女が大量に登場して独特の舞をする様が、、、もう…(思い出し笑い)。
そのほかの演目もコミカルで、さらに稲作など日本人にも馴染み深いテーマが描かれているので、言葉はわからなくても十分楽しめます。

おもわず人形を買いそうになるところでした。

こちらもオプショナルツアー等で申し込むことができますので、次の記事で触れるナイトクルーズなどとセットで楽しんでみてはいかがでしょう。

 

3. 日本では伝えない戦争のリアル/戦争証跡博物館

室外展示されている、アメリカ軍の戦車など。 展示室は10に及ぶので、最低2時間はみてほしい。

 

そして、ここは真面目にぜひ行っていただきたいところ。

ベトナムはつい40年ほど前、1975年まで戦争をしていました。
「ベトナム戦争」という言葉を知らない人はまずいないでしょう。

 

■というわけでベトナムの戦いの歴史をおさらい

 

それまでも超長い間、隣国中国に支配されていたベトナムですが、その後フランスが中国と戦争。「ベトナムはどっちのもんだ」という本人そっちのけっぽいすったもんだも繰り広げた挙句、19世紀にフランスの植民地へ。「フランス領インドシナ連邦」となります。

20世紀になると独立の気運が高まりますが、今度は第二次世界大戦が勃発。ベトナムを支配していたフランスがドイツに負けたことで、日独伊三国同盟を結んでいた日本が「友達(ドイツ)のもんは俺のもの」とばかりに(実際はたぶんちょっと違うんだろうけど)ベトナムに進駐したことも。この頃、立ち上がったのが現在のホーチミン・シティの名のもとであり、ベトナムの独立の立役者「ホー・チ・ミン」。共産党で主導的な役割を果たし、1945年には一度ベトナム独立宣言も発表しています。

その少し前に同時期に北ベトナムでは大規模な飢饉が発生。
200万人もの餓死者が出たといわれており、これは進駐していた日本の政策によるものだ、という声が上がります。
しかしご存じのように1945年は終戦の年。日本がどんどん追い詰められていく中、フランスが日本を追い出そうと戦いを仕掛け、結果、1945年3月に「ベトナム帝国」が樹立されることとなります。

■インドシナ戦争はベトナムの話だった

 

うーん、ちょっと疲れてきたのでもう少し駆け足で説明しますと、
直後に日本は敗戦。
するとふたたびフランスが「やっぱりベトナムって俺たちのもんじゃね?」と占領を始めます。

しかしベトナムの人々は激しく抵抗。当たり前です。
だがしかし、フランスはそれを武力で押さえ込もうとし、たくさんのベトナム人を殺しました。
これによって、独立からわずか1年後の1946年にフランスとベトナムによる「インドシナ戦争」が始まります。
まだベトナム戦争にたどりつけない。

そしてフランスは、現在のホーチミン・シティ(当時はサイゴン)に、当時人気だったバオ・ダイ帝を担ぎ出してきて、ベトナム王国を作ってしまいます。
ちなみにサイゴンは南ベトナム。
対するホー・チ・ミンおじさんたちベトナムの人は、北ベトナムにある現在の首都・ハノイでベトナム民主共和国という別の国を作っています。ホー・チ・ミンはその初代国家主席です。
同じ国でありながら、南北に分断されてしまうわけです。

さらにややこしいことに、ベトナム民主共和国臨時政府(北)には、中国とソ連が、
ベトナム王国(南)には、イギリスとアメリカが加勢します。

もう何がなんだかわからない状態ですが、世界の大国と呼ばれる国が参入してくるなかで、ベトナムの人はがんばってがんばってがんばって、ついにはフランスをやっつけます。
これが「ディエン・ビエン・フーの戦い」です。難攻不落といわれたフランスの拠点の名前です。
フランスはようやく撤退。1951年、インドシナ戦争はようやく終結します。

■休む間もなくベトナム戦争へ。しかも17年!

 

ところが今度はアメリカが「ちょ、待てよ」となります。

勝利したベトナム共和国というのは、共産党です。アメリカの資本主義とは反対です。
そしてアメリカは当時、ソ連と冷戦下にありました。
東南アジアの中では中心的存在だったベトナムが共産主義になってしまうと、近隣諸国も共産主義になってしまうんじゃないかと恐れたのです(ドミノ理論)。

こうして、やっとフランスがいなくなり、ベトナム王国がなくなったと思ったら、今度はアメリカの支援による「ベトナム共和国」がサイゴンにできてしまうのです。

インドシナ戦争終結にともなうジュネーブ協定で、やっと南北が統一できると思っていた北の人々は大激怒。「南ベトナム解放民族戦線」が組織され、アメリカ(及び、アメリカの傀儡政権だったベトナム共和国)との戦争に突入していきます。

これがベトナム戦争です。

ベトナムの人々は、同じ国民同士でありながら殺し合うという残酷な日々を送ることを余儀なくされます。
アメリカ軍は、日本に圧勝した経験から、今回も余裕で勝てると思ったでしょう。
でも、南ベトナム解放民族戦線は強かった。その理由はジャングルです。
アメリカ兵は、最新の兵器と大量の軍隊をベトナムに送り込みましたが、ベトナムの兵士はジャングルに身を隠し、体格も、武力も圧倒的に優位なアメリカ兵を苦しめたのです。
ときにはアメリカ軍の残していった武器をリサイクルして、戦いに挑み続けました。

その結果、アメリカは再び原爆を使おうかというところまで追い込まれます
その代わりにつかったのが、そう、枯葉剤でした。

毎日たくさんの枯葉剤を撒き散らし、ジャングルは丸裸になりました。
それだけではありません、大量の枯葉剤を浴びたベトナムの人々の体にはさまざまな異変が出始め、やがて障がいを持つ子どもがたくさん生まれるようになったのです。

日本でも「ベトちゃんドクちゃん」が有名ですが、結合双生児も枯葉剤の罪の1つです。

そのいっぽうで、ベトナム兵はジャングルに隠れ、朝は農耕をしていたことから、アメリカ兵はベトナム人と見れば農民でも女性でも子どもでも、殺しました。ベトナム兵に食糧を供給しているという理由をつけて殺すこともありました。
一般人の家に火をつけて、燃やしてしまいました。

しかし、それでもベトナムはアメリカに屈しなかったのです。

やがて、アメリカの行いが世界の非難の的となり、1975年、ついにアメリカ軍がベトナムから撤退。
サイゴンはホーチミン・シティと名を改め、ベトナムはついに本当の独立を勝ち得たのです。


結局すごく長くなりましたが、ベトナム戦争はその長さや、国民同士が殺し合わなければいけない残酷さ、枯葉剤の恐ろしさとともに、「世界中で報道された」戦争としても知られています。
日本ではインドシナ戦争からベトナム戦争に至るまでの間に、高度経済成長に突入し、テレビも普及。
たくさんのジャーナリストがこの戦争の酷さを取材し、撮影し、記録に残しました。

そのなかには日本の石川文洋氏などの名も連なっています。

で、ようやくたどり着けるのですが、ここ、戦争証跡博物館にはそうしたさまざまな戦争の「証」が、やはりさまざまな形で展示されています。

庭にはアメリカ軍が実際に使用していた戦車などの兵器があり、一瞬、「ガールズアンドパンツァー」的な要素を見出してしまうかもしれません。
でも、そうならないためにも、その背景を知った上でぜひ訪れてほしくて頑張って書きました。

そして、中にはたくさんの写真とともに、爆弾の破片だけで作ったモニュメントや、枯葉剤の犠牲となった子どものホルマリン漬けも実際にあります。
写真も、日本では決して報道されることのないような、残酷なものがたくさん展示されています。
逃げる家族、殺されたこども、ちぎれた体、枯葉剤で障がいを負わされた人々の姿。

正直、目を覆いたくなるものが多いです。
でも、だからこそ直視してほしい。
日本でもきな臭い報道がされている昨今ですが、戦争が起こったら、どうなる? というリアルを、本当の意味で伝えてくれる媒体は残念ながらありません。

戦争が始まったら、真っ先に戦地に送り込まれるのは若くて健康な男性です。
そして、残されて略奪や暴行・虐殺に直面するのはあなたの愛する家族です。


今だからこそ、ベトナム、そしてホーチミン・シティを訪れることがあるのなら、ここは絶対に外さないでほしいとマジな奴でお願いします。

 

4. 日本では伝えない戦争のリアルその2/クチトンネル

観光客用に広げられた入り口。にしても、狭い。

 

なんだかもうお腹いっぱいになっている皆様の顔が浮かびますが、こちらは、実際にベトナムのゲリラ兵が過ごしていた(というか作った)トンネルの跡地です。

元々は何か別の目的(別の戦争?)で掘られたとガイドさんが言っていましたが、忘れた(おい!)。
しかし、手持ちの草刈り鎌のようなもので、およそ20年もかけて地下3階建て、およそ250キロメートルものトンネルを掘ったその俯仰不屈の精神には目を見張るものがあります。

大人がやっとかがめる程度の通路の先々に、作戦会議室や救護室、台所まで作り、もちろん空気穴も忘れません。
さらに敵が来たときにとっさに入れる穴や、からくり屋敷のようなしかけも。
敷地内ではアメリカ軍の残していった武器や爆弾をリサイクルして作った武器なども展示しています。

ゲリラ兵たちは、日本のタイヤを再利用したサンダルを履いて行動し、帰りは後ろ前に履くことで、「足跡から居場所がバレないようにする」など、さまざまな知恵をこらしていたことが伺えます。

観光客用に入り口を広げたトンネルに実際入り、50メートルほどの見学コースを進んでみただけで足はパンパン。
戦争証跡博物館を見学した後に来ると、より理解がしやすいかと思います。

なお、ガイドさんによると、ここら一帯も枯葉剤で丸裸にされたそう。
そのため現在生い茂っている木々はみな終戦後に生えたもので、とても細いのだそうです。
戦争中はもっともっとジャングルだったとのこと。

こちらもホーチミン・シティから車で2時間ぐらい。
公共交通機関は望み薄なので、ツアーで行くのがいいでしょう。

 

近くには、戦没者を慰霊する寺院もありました。ご冥福をお祈りします。

 

 

 

西まごめ

次回は最終編「大人の楽しみ編」予定だよ!

週刊誌記者を経てフリー編集・ライター。美容男子クレオパトラ担当。

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