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使命について

 

 

ひきつづきスピリチュアル・レッスン中の私は、今日も掃除をしていた。 なんというか中毒者のように、それだけがしたい! そんな人になっている。

掃除といってもこの度のそれは、 ふだんの自発的なものとは違い、本に促されて始めたわけで。 それがやっているうちに虜となったのが興味深い。

それにしても掃除の何がこう面白いのか。 それは、変化が即座に見える行ないだからかもしれない。

そして、捨てるか残すかの判断を己が下すことにより、 自らの主体性のようなものが復興し、その”わが人生”感が気持ち良いのかもしれない。

たとえば高いから手放せない、高いから手に入れられないというとき、 人生の主の座をお金にあけわたしてるということなのかもと思う。

お金だけでなく、時間や距離、人の目など、 さまざまな要素を自分以上に重要に思い込むことでその見えない力の影響を受け、私とはにぶっていくのかも。 そんなことを1日の終わりに感じている。

さて、なんだか言葉が止まってしまった。なにもでてこない。 こういうときとは、本当に書きたいことにブレーキをかけている状態だったりする。 ぼくは今、ここになにを書きたいのだろう。

そうだ。わかった。使命についてだ。

本日、7日目のスピリチュアル・レッスンの課題は「自分の使命をしる」。 そのことについて自問し、使命をしる手がかりとなるシンクロニシティーに注意をむけろ、と指示があった。 けれど1日、シンクロニシティー的なことになにも気がつけなかった。

ただ、使命についての言葉がふと浮かんできた。 しかし、それをこのようにひらかれた場所で発表することへの抵抗感がすごい。 なんだか恥ずかしいし、それをする意味もよくわからないし、怖い。 でも、だからこそ書く意味があるのでしょう。

ええと。 ぼくのキャッチした今日の時点でのわが使命は、「自分を表現すること」であります。

表現とは、作品をつくり発表することにかぎったものではなく、 このお味噌汁、おいしいね。この女優さん、なんか苦手。 そんな他愛のないことを誰かに話すのも、表現。

この色の組み合わせだと派手とおもわれるかな?といった人の目ベースで着る服をせばめず、 己の欲求にしたがいスタイリングすることも表現だし、 疲れているから飲み会はパス。とNOを言ったり、 さっきのあの態度に傷ついたんだけど、と面倒くさい感情を伝えてみるのも表現。

ぼくは、はっきりいって、そうしたことがとても苦手です。 そんなことをしたら、嫌われそうで、怖いのです。 こうした文章も誰かを不快にさせそうに思え、 ほっておくとさわりのよいことだけを連ねたい気持ちになってしまう臆病者なのであります。

そこで出会いましたのが、絵。 あからさまなメッセージのない絵ならばきっと、誰のことも傷つけずにすむのじゃないか。 その場所であれば、好きに自由に自分を表現できるのではないか。  そうしたスーパーリスク回避の発想も助け、ぼくは絵を描くことに夢中になっていたのだと思います。

でも、絵だけではなく、 話すこと、書くこと、動き、装い、暮らし方、生き方の毎秒、毎瞬をもっと自分のままにあらわすことを、 奥底のぼくは望んでいるのだと、今夜強く感じるのでありました。

ということで本日は、いつにもましてミーミーミー男子ですみません。 超個人的な宣誓にお付き合いくださり、誠に誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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