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会話の質とやら

 

 

会話にはいろいろな形があると思う。 それをテレビ番組のプログラムに見立てて分けてみると。

対談番組。トーク番組。バラエティ番組。

ざっくり分類すると会話はその3種類になるのかもしれません。

対談とはお互いがお互いの話を聞く、聞きだし語り合うもので、 トーク番組は一方が聞き手、一方が話し手になるというもの。 バラエティ番組は、会話が盛り上がり笑いが起こることをよしとする場。 そんな風にぼくはとらえていますが、なんとなく伝わりますかね?

たとえば合コンで求められるのは、たぶんバラエティ的な会話であり、 昼休みにOLが社の屋上で輪になってバレーボールをまわしあうみたいな、そういう一体感。 わ、けっこう続いてる、わ、どうしよう、わ、たのしい!ってなグルーヴが生まれ、 会のリーダーシップをとる人間が、絶妙なタイミングでアタック! みんなで大笑いして、ああ愉快。 そんな感じ。

トーク番組的会話は、お互いまたは少なくともどちらかが、 その会話に対して聞き役をしている、話をさせてあげているという意識がほんのりでもないと成立がむつかしい形かもしれないと思う。

ぼくはとにかくお喋りで、そうとう意識していないと、 あのね、うんとね、それでね、と喋り倒してしまいがち男子。 しかもそれを、会話がつづくのだからいいことだ。と30代のいつごろかまでは思い込んでいて。 けれど近年は、多くの人が自分の話をしたい、聞いてほしいのかもしれないと感じ始め、 今まで長い話を聞いてくれたいつかの誰かに大変遅ればせながら感謝をしているところ。

一見、変わりばえしない毎日も、 実は常に”あたらしい今”との対峙の連続とすると、 毎瞬未知との遭遇のわれらが、あんなことがあった、そして今がある、明日はどうなるのだろう? と、自分のこれまでを言語化しそのプロセスを伝えた上で、今の自分を理解してもらい、 さらに未来への不安を吐き出したいのは、特別な欲求じゃないように思う。

対談的会話が成り立つには、リスペクト精神というのでしょうか、 あなたのことを尊重します。あなたの話に興味があります。 というあり方を互いがしていることが必須なのかな、などと思う(ほんとはどんな会話でもだけど)。

尊重と興味をもって話を聞いていると、 それでどうなったの? なんでそう感じたのかね?  あ、今の話を聞いていたら自分のこのときの経験を思い出したんだけど。 などといった風に、相づちやら質問やら、伝えたい自分の話などが自然とでてくる気がする。

そんな状態に入ると、面白いくらいにシンクロニシティーが発生し、 自分の気になっていることが相手の口からでてきたり、 そう、そう、それ! みたいなミラクルが起きたりする。

そうした濃密なお喋りがなされると、 それがほんの短い時間のやりとりでも互いをかけがえなく感じられたりするのは、 「私とあなた」という隔てが消え、「私たち」という、つながった状態になっているからかもしれない。

さて、会話を分類、ジャッジメントしたものの、別にどれが優れているだの言いたいのではなくて。 ただ、会話には質があるということ。会話の質により会話後の状態、気分は異なるということ。 ゆえに、自分がどうした会話に活性またはどんよりするかを認識することは重要! そんなことを言ってみたかったのであります。

とはいえ、今日も今日とてたんなるぼくの偏見です。ふーん、と読んでいただければこれ幸い。 本日も、ふーんトークにお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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