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スローライフからの

 

 

わが家はスローライフしてる。ってなことを前回書きましたが、 その翌日の午前中に宅配便が届き、 まったく身に覚えのないそれが何であったかというと、オーブントースターだった。

同居人である恋人は、そういうところがある。 なんの相談もなく気配すらなく決断し、ぼくは突然の展開に驚くのです。

そうして本日、初めてnewトースターで焼かれたパンはとても美味しかった。 フライパンで焼くのとは異なる食感で、 同じパンとは思えない仕上がり(厳密にいうともちろん違うパンだけど)。 昼から豊かな気持ちになれたのであります。

さて先日、ラグジュアリーな都心マンションに暮らす友人宅にカップルでお呼ばれし、 友人の手料理と集った面々の持ち寄った酒や果物の宴は、たいへん楽しく、日が昇る頃にベロベロで帰宅した。

その楽しさを分解、分析すると、最上位に友との語らいがあるのは明確なのですが、 成分のひとつに、ラグジュアリー空間の居心地の良さというのもあったよな、と思う。

たとえばそこは広く、ほんのり床暖房がつけられていて暑くも寒くもなく、 質が良いのだろうソファーやラグにブランケット的なものや音楽に絵みたいなもの、 それらすべてがつくる空間力に当初は気後れしたものの、 いつの間にやら横になりながらチーズをつまむ的リラックス状態の自分となっていた。

翌日、会を企画してくれた友人にお礼のメールをした流れから、 いい家だったねえ、ああいうところに住めるようになりたいねえ、などとやりとり。

目下のぼくは郊外での、なんというか素朴調の暮らしを気に入りつづけていますが、 都心のすてきな夜を経て「いまの暮らしがすべてじゃない」と思う自分を知り、受け入れた。

住めば都という言葉があるけれど、ほんとうにそうだと思う。 どこに住むか、どう暮らすか、誰と遊び働き、どのように生きるかの答えなんて無いのだろう。 そこに”住めば都精神”ひとつあれば、今日は、今日までの道のりすべては「正解」となる。正解は流動的でブレて当然。

人はみな違うし、変わるし、だからこそ語らいにわかちあいと発見があるのでしょう。 そして。唯一無二の私たちは、誰かや何かが定めた形にハマれないほうが自然なのだとも思う。

あなたのそれいいね、彼女のそれもいいし彼のそれもいい。 そんな感じにオールオッケー、と生きることがいちばん楽な気がするからそう生きたい私から、 いつかどこかのあなたに向けて、よもやまいわせていただきまして候。
ニュー男子 拝

 

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