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we can スローライフ

 

 

新宿駅から徒歩15分のマンションより、急行電車で40分強かかる郊外へ移住したことを告げると、 「野村くんスローライフ?」などとよく言われ、 スローライフが何かをわからないぼくは「そういうことじゃないんですが」と曖昧な答えを返していた。

べつに”スローライフ”をしたくて引越したわけでもなく、 それがそのように呼ばれても呼ばれなくてもどっちでもよいため、 何度聞かれてもその言葉や概念に興味がわかず、いまだ調べてみたことがない。

それが先ほど、昼食に使った食器などを片付けていて、あ。と、突如スローライフな自分に気がついた。

スローライフって、スローを許すこと。スローを受け入れること。 そのようなあり方の生活をいうのかもしれない。

気づきのきっかけはフライパン。 実家を出て、都心のマンションに暮らし始めた時分に、 ぼくと入れ替わりのようにひとり暮らしをやめる友人より真新しいオーブントースターを譲り受け、 今では年季の入ったトースターを、近年はほとんど毎日使用していた。 8月のある日、トースターの足が折れ、その衝撃の影響か熱を発するという根幹の機能が壊れた。 トースターの死ともいえるその変化により、ぼくらのあたりまえの昼食は変ぼう。 たしかその日はパンを焼かずに食べた。

「あたらしいのを買う」「せっかく買うのだったらすごい機能のそれが欲しい」。 ぼくの頭は自動的に次のトースターの購入を想定し、お金の工面まで考えはじめた。 が、しかし、これが二人暮らしの面白いところ。 ともに暮らすカレの頭にあったのは「フライパンでパンを焼く」であり、 アイディアはすぐに実用され翌日はフライパンで焼かれた食パンを食べることとなった。

そうして新しい習慣となった”フライパンで焼いたパン”を今日も食べたわけですが。

トースターは火加減調節などを人間がする必要がないので、焼いている時間はフリー。 それから、毎日磨くことも拭くこともしないけれど、フライパンの使用には、 出す→使う→火の番→使ったら洗う→水気を拭う→しまう。ってな行動がともなう。

そのいちいちを「不便」とし、時間が惜しい場合は、トースターが必要となるのでしょうが、 急いでパンを焼いて食べなくてはならない昼が日常ではないぼくたちにとり、その不便は、許容範囲のようでした。

時間の節約、有効活用を求める心が、効率的な道具を生み便利な暮らしをつくる。 そのような望みがこの便利な世の中をつくり、 その恩恵に毎日あずかりながら暮らさせてもらっている身分なので、効率化に文句はない。 ただ、ぜんぶがぜんぶ効率的ではなくてもいいのだなあ、と思うようになりました。

ルンバに掃除をしてもらっている間にべつのことができる便利さはぼくにはなくても大丈夫かも。 乾燥機付き食洗機が皿らの後片付けをしてくれる間にほかのことができなくてもオッケー。 大きな冷蔵庫があればたっぷり作り置きして冷凍できるけどその冷蔵庫を買うのためにたくさん働かねばとも思わない。

スローライフって、畑で野菜つくる。便利を手放すこと。みたいに漠然と思っていたけれど、 それは、いってみれば”スローライフ大学院生”みたいな感じかもしれない。 いきなりそこを目指すと小学生が大学受験の問題を解けないように、挫折は明らかなことでしょう。

都心のタワーマンションに暮らし便利グッズにかこまれていても、 たとえば買ってきた惣菜を非効率ながら気に入りの食器に盛り付け食べる。 それもスローライフなんじゃなかろうか。

スローライフを「効率的ではないこともアリとする」「効率を絶対視しなくなること」としてみると、 あんがいほとんどの人に”スローライフな自分”はある気がします。

そのような”効率よりも”ってな価値観を、自分のこだわる事柄にずいじ適用していくうち、 いつの間にか「わがスローライフ(そんな言葉は不要だけど)」が構築されているのかもしれません。

最後に唐突ですが、 痩せるために”食べ物の咀嚼中はいったん箸を置く”を習慣にしたら痩せたって話を耳にしたことがあります。 そんな”目的のための非効率”だと、取り入れやすいかもしれないなー、と思いますがいかがでしょうか。

以上。面倒くさいけど、体があたたまる掃除機がけをこれからします私です。ごきげんよう。
ニュー男子 拝

 

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