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そんな私のarigato記念日

 

 

ゆうべ、何度も何度も「ありがとう」と言ったのは、 友人と選んだ町の居酒屋がキャッシュオンだったから。

庶民的であり一見さんウェルカムそうな立ち飲み屋は、週末は椅子を出します、とあり、 雰囲気的にそのような酒場を求め、かつ座りたい私たちは、 ここ。と決め、階段をのぼった。

メニューと値段のあんばいが非常に好みだった。 ハムカツ300円。酎ハイ300円。

キャッシュオンと知らなかった二人は、 最初の1杯とともに値段を伝えられたことに驚きつつも、そのスタイル嫌いじゃない。 すぐに小銭と1000円札をテーブルに出し合い、 このお金で飲み食いしよう、となった。

たくさん飲み、たくさん食い、たくさん喋って、それはそれは楽しかったのですが、 そのように楽しい時間となったのには、この空間の力も大きいと私たちは結論。

給仕担当のおかみさん(素性は予想。そして年齢も実は近そう)は、 そう狭くない店内に入れ替わりやってくる客にひとりで対応しながらも、 品を届ける際はつねに笑顔と一言二言があり、 ありがとうございます、と丁寧にお金を受け取るのだった。

そんなマスター(達人)に触れると、 鏡のようにしてこちらのマスター性が立ち上がってくるというもの。 そうしておうむ返しのようにぼくらも都度、都度、「ありがとうございます!」と飲食物を受け取り、 特殊なところのあまり見受けられないそれらを、大変ありがたくいただくこととなった。

ありがとう。という言葉には、すごい力があるのです。 そのように多くの人たちが伝えているのを知っている。 ありがとうを何万回か唱えると病気が治るとか、 ありがとうと声をかけた植物はよく育つとか、 あ、り、が、と、う。という音の響き、その連なりに自体に強大な力が宿っているとか、 それはいろいろな言い方でその言葉の凄さは語られていますが、 もしも、サーモグラフィーみたいな装置で精神性みたいなものがはかれたら、 「ありがとう」と思い、誰かや何かに向けて放つその瞬間の私は、 瞬間的悟りの状態にあるのかもしれないなー、と感じた夜。

そして。 言わなくてもわかるでしょう? と、 親しい間柄の人とのやりとりではつい”省略”をしてしまいがちな言葉だけど、 たとえ”死ぬまで一緒”と約束しあった仲であれ、一瞬後のことはわからないのがこの世界。 これが最後なのかもしれぬ、という目覚めた意識で、心をこめた「ありがとう」を言おう! そんなことを思った私なのでありました。

さて、秋のせいでしょうかだいぶポエムなつぶやきになりまして候。 一定感とぼしいニュー男子に本日もお付き合いくださり、誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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