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隣家に逃げてきた

 

 

本日は、わが家の隣りは大家さんの母屋は離れを借りて、これを書き始めてみました。 ここ数日、予兆なく喉に違和感が生じ、身体がちょっと重たくダルく、さらにはうっすらと頭が痛い。 だけども、そんな不調でニュー男子を停滞させるのもつまらないので、 自分が変わらないなら処を変えてみよう、そんな転地療法作戦にでたのであります。

そうして例のごとく無目的に、ひとまず筆を走らせているわけですが、 不思議と場所を変えたら気分も変わり、キーボードを叩く手が軽い。

転地療法とは、環境を変えることで肉体の状態を変えるってなアプローチかと思いますが、 その療法に効果があるとされるのは、 土地や場所にはそれ特有のエネルギーがあり、 普段の自分のエネルギーと混じり合い、影響を受けることにより、 自分が変わってしまう、変わることができる。 そういうことなのかもしれない、と今思う。

さて、人生って、 点と点がつながり線となり、 客観的に他者がそれをみるときには、 こうしたことがあり、こうなった。こうだから、ああ。実はこんな過去があったのか、黒歴史。 などと、スタートから現在地点までの全体がその人と見なす傾向にあるように思えますが、 その見なし方は、裏を返せば見なされ方となり、 たとえば一貫性を自分に求めたり、 過去を消したいなどという欲求を抱かせるものかもしれません。

けれど、考えてみると実は、人生は線じゃなくて完全に点。 一瞬の連続だから連続に思うけれど、その本質は一瞬の方にあるのではないでしょうか。

先日、上野動物園だったかが若者にむけて、 辛かったら逃げてもいい。行く場所がないなら動物園へいらっしゃい。 というような投稿をして話題になっているそうですが。

個人的なことでいうと、 2015年にぼくはそれまでお世話になってきた雑誌社に、 絵に専念してみたいのです! ってな宣言をし、 担当していた連載をやめさせてもらいまして。

それはぼくにとって一大宣言であったのですが、その決心を、 時期的、心情的タイミングの妙でいちばんに報告したのが、 これまでに数度仕事をご一緒した関係の、とあるカメラマンさん。

出張先での大阪は明るい午後に、 取材がうまくいった爽快感で昼からビールを飲みながら、 ぼくは日帰り出張には不似合いな大きなリュックから Kさんに見せようと持参した作品のつまったファイル(ポートフォリオというのですかね)を取りだし、 仕事をやめる報告とあわせて見せた。

するとKさんは陽気に、

大学院に通ったと思ってもらって数年は親にお金の面倒を見てもらったっていい。 自分が不自由を感じる場所からは逃げたらいいんですよ。 僕もずっと逃げてきて、食べられるようになったのはつい5年くらい前からです。

というようななことを言い、その言葉は現在に至るまで弱気な時期のわが支えとなっているのであります。

さて、人生って、 しょせんは点。ただの点なのかもしれません。

だからして、その瞬間の自分がよきことをその瞬間に選び続ければよいわけで、 つまりは、死にそうになっているなら逃げてもいい。いや、逃げたらいい。 逃げるが勝ちということになるのだと思う。

そんなことは、 ぼくのような歯を食いしばって生きたことのないような人間に言われても説得力がないのでしょうが、 でも、もしも、今の環境が辛い人がいるのならばやはり、 「そこから逃げていいと思う!」。 そのように言葉をかけたいと思うのです。

以上。逃避人生への言い訳みたいな本日の雑記にお付き合いいただき、誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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