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感受性のバカ野郎

 

 

こんばんは。こちらは夜の10時くらい。 珍しく、たいへん珍しく人のキーボードを叩いているのは、 今夜ぼくのMacを友人が使用中だからであります。

この数日は、前回も書きましたが展示にむけて活動をしていまして、 友人が泊まり込みで準備にやってきたこともあり 完全に非日常時間に突入中。 そうして、ぼくの作文の相棒であるMacさえ使えない状況を たのしむというあり方を選べる自分でいたいと思う今夜です。

前書きがだいぶ長くなっているのは、 なにを書くのかテーマが決まっていないからで。 こうしてぜんぜんアイディアが降ってこない日というのも ある意味、新鮮ですが、読む方にしてみればじれったいでしょうか。

今日の1日を友人や恋人と過ごし、 その語らいの中にここに書くべきテーマがあったとすると、 オープンにする、ということだろうか。

友人には数ヶ月前からギリシャ人のカレがいて、 そのカレとのあれこれを、恋人の話としてではなくブログやらに彼女は書いていて。 それが今夜、いつもとは違うエネルギーの土地で寝起きし勢いづいたらしく、 ギリシャ人の恋人がいる。という宣言をブログでしたのだそう。 そうして宣言をしてみてから、 あれはよかったのだろうか。 といった不安に見舞われていると彼女は夕食時に言った。

いったいなにが不安? なにを恐れているの? と問いかけたところ、うーん、となったので、 嫉妬されること? と推測し問いかけたら、 そうかもしれない。嫉妬されることが怖いのかなあ。 と、歯切れの悪い返答。

人って面白いもので、言葉と心というのは必ずしも一致しない。 たのしい。と口では表していても、 そうたのしんでいない人というのはだいたいわかるものですよね。

彼女の恐れの大きな要因は、 おそらく嫉妬されることではないのだと思います。 では、何か。そんなものはぼくにはわかりません。 その答えというものは、本人にしかわからないもの。

それって、当たり前のことですが、 よくよくそのことに向き合ってみると、 「感性」「感情」というものは、みなオリジナルで、 誰にも犯すことのできない本当に自由なものなのだな!と感動してしまいます。

逆に考えると、感性、感情は、 誰にも犯させてはいけない神聖な領域のものなのかもしれません。

ぼくは、「泣けます!」「号泣もの!」ってなふれこみの映画で 感動の涙を流したことがこれまでの人生で一度もたぶんありません。 あまのじゃくなのかもしれませんが、 そうした売り込み文句を聞くと、 泣いてなるものか、ってな謎の反骨精神がわきあがることがあったり、 そもそも見る気がしない、ってなることがほとんどな偏屈人間で。

茨木のり子さんの作品に、 自分の感受性くらい守れよ、馬鹿者。 みたいな詩がありますが、 (適当すぎですね、茨木先生ごめんなさい!)

なにが悲しいか、なにが切ないか、 なにがおかしいか、なにが愛しいか、 なにが腹立たしいか、なにが嘆かわしいか、

そんなことは、誰かやなにかに強いられたり教わるものではないし、 たとえば誰にも共感されないものこそ、 その感性を大切にしないといけないのかもしれません。

話は冒頭に戻りますが、 わがMacは、ともに展示をする友人がしたためた みじかい詩を印刷するために目下稼働中なのですが。

その詩について何度か、 この言葉とこの言葉はどちらが良いかな、どう思う? などと尋ねられることがあり、 その際には、ぼくの感性を押しつけないように慎重に慎重に答えました。

そうしてみて、 ぼくも日ごろカレに、 ねえ、この絵、どう思う? などと何かしらの答えを求めることがあり、 毎度「うん。いいんじゃない」ってな薄い反応のカレに、 なんだよ、もう!と瞬間的にプリプリしてきたのですが、 もしかすると、そっけない答えは カレの優しさそのものだったのかもしれないな、とありがたい気づき。 って、突然ノロケましてすみません!

さて、これはポメラという機械を使い書いているもので、 いったい今、文章がどれくらいの長さになっているのかよくわからないのですが、 もう30分近くカタカタやっていることを考えると、 そろそろおひらきにした方がよさそうですね。

ということでSIMEの一句を。

感受性、大事にしたよ、のり子さん。

本日も血にも肉にもならない雑記に 最後までお付き合いいただき誠にありがとうございました。 明日はマイMacで、全力でインスタグラムについて書きますね!
ニュー男子 拝

 

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