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ドジな女

 

 

当コラムには友人の話がときどき出てきますが、 いろいろな友だちのことを書いていると思われる方もいるかもしれませんが なかなかに同じ人のことを書いているのはご存知でしたでしょうか。そんなことどうでもよいでしょうか。 さて、友人の話をひとつ書きますが。

友人Kは、プチ移住先のNYにてスマートフォンを紛失し、 スマフォ不携帯のまま日本へと帰ってきまして。 パソコンにインストールしてあったSkypeやらLINEやらmailやら公衆電話やらで連絡をとりあい、 東京で何度か遊び、彼女は地方都市の実家へと帰っていきまして。

メイクドラマとはよくいったもので、 潜在意識でドラマティックな人生を欲しているのか彼女は リュックにつめていた水筒の蓋をあまくしめていたようで水筒から水が流れだし 遠隔他者との連絡手段の綱であったノート型パソコンも壊してしまった。

人の不幸は蜜の味とはこういうことなのかもしれませんが 彼女のあまりのドジ具合に、その知らせを実家からのパソコンメールで受けたときには、 ウケる! とニヤニヤが止まらなかったのであります。

彼女とSkypeでの対面コンタクトをとるまでの期間に、 何度もそのことを思い出しては心でクスクスとし、 おもしろニュースを提供してくれた友人に感謝を捧げていた私です。

アナタ性格悪いねー、と思われる方がいるかもしれませんが、 ぼくは、たしかに笑いましたけれども、その根拠というか根底には、 連絡手段をつぎつぎ失った彼女のその出来事を「不幸」と思わない、 ということがあるのをお見知り置きくださいね。

もちろん自分の身にそうしたことが起きた際は、 ああなんてアンラッキーなんだ! と嘆くかもしれませんが、 おかめはちもく、といいますように、 出来事やそれにともなう感情と適切な距離をもって眺められる他者的場所からのほうが、 そのことの本質がクリアーにみえるということがあるというものでしょう。

ええと、私、今日はそうしたことを書きたかったのではなくて、 ポジティブということについて書きたかったのですが、 なにやら長くなってきたので「ポジティブ考」はまたの機会にすることにして、

それが不幸か否かと判断する際には、 その出来事が感情を揺さぶられない間柄の誰かに起きたことと仮定し捉えた見解も ジャッジメントの素材として用意してみることが賢明かな、と思います。

また、恋人に起きた、家族に起きた、友人に起きた、有名人に起きた、見ず知らずの誰かに起きた、 などという風に、自分との関係性、距離感を変えて想像し、自らの内なる反応に耳をすますと、 自分と誰かの感情的パイプのようなものがどのように結びついているかを知ることもできるかもしれません。

薄情者と世間からはレッテルを貼られそうですが、 そうした感情的なパイプをできるかぎり断ち切ることが もしかすると本来的な意味での「自立」なのかもしれないなあ、とも思いますが、 まったく見当はずれのことかもしれませんし、または真逆の状態をそういうのかもしれませんし、 そんなことは幸福に生きていくうえで、まったくどうでもいいことなのかもしれません。

書きたいことは書けなかったけど思いもよらぬことが書けた気がしている 行き当たりばったりの私のブツブツに本日もお付き合いいただき誠にありがとうございました!
ニュー男子 拝

 

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