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インタビューを受けた

 

 

6月の末、人生で初めて「インタビューをさせて」という依頼があった。

これまで何十回とインタビューをする方の経験はさせてもらったけれど、 反対の立場にたつことで初めて知ることはたくさんあるに違いなく、 それはつまり未知の自分と出会うことであり、 なんともエキサイティング! と喜んで引き受けた。

最近よく、 自分は何をしたいのか、何が楽しいのか、何を求めているのか、何に悦びを感じるのか、 などという思春期的な問いかけを、寝しなや湯船に浸かりながら電車に揺られながらなどにしているのですが、 これ! という一直線な答えは浮かばないものの、ここに繰り返し綴ってきていますがやはり、 「あらたに自分を知った」と感じることに無上の悦びを感じていると思っていたので、お初のこの機会は実にありがたい。

インタビューの趣旨は、 ぼくが昔からお世話になっている編集者さんが 新宿ゴールデン街の飲み屋で隣り合わせ、惹かれ、スカウトしたというライター見習いの女子に 「インタビューの経験をさせたい」というもの。 (シャンプーカットの練習台になって。みたいなものですね)

そんな編集Nさんの親心が、 ぼくの人生に「インタビューを受ける」経験をももたらすのだから、 思いが行動となるときに宇宙に起きる波の影響力とは想像もつかないものだなあ、と思う。

さて、インタビューはお二人が絵を見てくれたあとに1時間ほど行われ、いろいろと感じたのですが、 もっとも強く印象に残ったことを端的に書きますと、 「外側の世界に向けて放った何かは(絵、文、写真などなど)、すべて『表現』なのだ」ということ。

具体的にいうと、 彼女が下調べとして「ニュー男子」と「leeの話」(ぼくのブログです)を読み、 そこにあった今回の個展についての「私の誕生から私の終わりまでの感覚的な旅ができる」という一文の、 ”私の終わり”というフレーズについての質問。

彼女はたしか「終わりという言葉がひっかかる。ネガティブにとらえてしまう」というようなことを言い、 その言葉の真意を知りたい、というような問いかけだったと思う。

正直なところぼくは、そのフレーズをきっちり憶えておらず、戸惑ってしまった。 あそこにこのように書いてあったのですが、と言われ、ああ、たしかにと思い当たったものの、 作文していたその瞬間にどのような意識でその言葉を使ったのかを確信をもって伝えられる自信がまるでなく、 今の「終わり」感について答えることにし、ちょっとしたしどろもどろ状態に……。 そうして「発表、表現することには責任がともなうのだ」という何を今さらなことが深く深く刻まれたのでありました。

まだまだ”インタビュー”について書きたいことはあるのですが あまり長くなってもあれなので、今日のところはこれまでとさせていただきますね、また書きます!

以上、野村初体験の報告その1でございました。ご清聴ありがとうございました。
ニュー男子 拝

 

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